『このようの火と水とは一の神 風より外に神はないぞや
〔高井家資料 六頁 文書類〕より
『火は火や、水は水や。何でもないと思うていては違う。火と水とは一の神。無くてはならんものの一つ。間違うたら、どうにもこうにも人間の力で防げん。ここをよう思案せよ。
さあ、そうなってきたら、いかな強欲でも悪気者でも、そんな事どころではない。何もかも忘れて、まず第一に手を合わすやろ。さあ手を合わしたら何と言う。ナムという言葉が先へ出るやろがな。ナムは親々(くにとこたちのみこと・をもたりのみこと)やで。
いかな大水も、大火事も、大風も、皆これ親の意見やから、知らず知らず親を呼び出して頼むというは、仏法というものを、人間の心やわらげるために教えておいたのやで』と仰いました。
しんじつのいとをしとをてくるものは すえではかみがまちうけている 17号 最終歌