身の内一家に於ける七福神元本之理

  夫婦を始め家内中睦に揃うて丹精尽くすを七福神と云う、睦に揃うは六にて家内仲良くむつまじい事なり、揃うて丹精尽くすは七なり、睦即ち六金神、六金神とは金銭睦に融通するを云う、六神金神くにさつちの尊、丹精尽くすは鋼の理にてたいしょくてんの尊切る神なり、金神続ぎ鋼の神は切る。

 

 真心にて丹精尽くせば毘沙門天にて切り分け与え下さるなり、其の理を以って例えば拾円を壱円拾枚に替える事を人に頼む時は切ってくれとというは拾円は円く睦にて六金神切ってくれる人は毘沙門天にして第七たいしょくてんの尊変化座しまし切る事一切を司る神なり。

 

 恵比寿、大黒、福録、芸豊、布袋、弁財天、以上六金神と毘沙門天にて七福神なり、六神くにさつちの尊の変化にて一神たいしょくてんの尊の変化なり。

  大黒天平常男一の道具の形二俵の米俵は睾丸二つなり、担ぎたる袋はきんのうなり手に持ちつ槌は即ちくにさつちなり、大きなる頭巾をかぶりたるは○○なり下を向きて足納す。是れは世界にて大国主命にて金持ち長者なり。現今の銀行株主なり。福録神は女一の道具の平常なり。夫婦睦まじく暮らせは福は睦く録と云う理。側に鶴の居る理はつるはたつると云うて男一道具の理なり。○の一の道具は男一の道具を起る役なり。弁財天美女の姿に見ゆるは○○○○○○せんとするときの心は、たとえ醜き女房でも美女の○○○する。

 其の心の理を現わしたるなり、芸豊の頭の長きは男の○○○○○○形の理、布袋の腹の大きい女懐胎になりし姿なり。恵比寿の足の立たざる姿は婦人産する時の風体なり。抱えし赤鯛は懐胎せし子の生れ出たるなり。懐胎は海鯛の理にて赤鯛は赤子の理なり、釣針はたいしょくてんの尊、胎内にて肉縁を切り分け下さる理。

 釣り糸はおおとのべの尊胎内より引き出し下さる理、釣竿はくにさつちの尊にして産を司る理、竿と云うは産の王と云うなり、猿王権現猿田彦之命又庚申とも祭るり。

 恵比寿を少彦命と礼拝するは人間は分丈相応に金銭を持てば少なくとも足納して喜んで居れば福の神少彦尊なり、又にこっと笑って暮らせば恵比寿様なり。

 毘沙門天の姿は産する時の婦人の力みの理を現したるなり、笑う門には福来り、怒る門には鬼来ると云う、家内仲よく笑うて居れば福神の祭り怒る心は鬼なり、世上には鬼と云う者は居らぬものなり。

 腹立ち怒り強欲重欲の心が鬼なり、悪気なり鬼は心の内より出で福は外より入るなり、内は我が身なり他人は外なり、往古より節分に煎り豆を巻くに福は内、鬼は外と云うは正しく反対なり。なぜなれば福は世界外に在り、鬼は我が内銘々の心に在り、故に福は外、鬼は内より節分とは身体にては万事思い断ち思い切る事にて世界にては万芽切る事なり。

 

一日にては夜丑の下の刻一年にては十二月中終わり、正月節の始めにて四季四節、旬の始めての大節なり、豆を煎るは悪気の芽を出さぬ理、鰯の頭を用うるは目鼻口耳の四つを祝う理にて祝は四、即ちゆわし心思い始めに此の四つの使い方を祝うなり。鬼の目刺しを差すは強欲重欲、怒る心の眼を出さぬ理なり、よく/\往古よりの式来たりの例を見て其の元本の理を考え人心を改良すべきなり。