かしこのねの命(惶根尊)


 風吹分主(風一切物を云はせて下さる神)

 

 此の神様は人間に息吹き分け物を云わせて陽気の話し、面白く喜ばせたい、楽しませたいに御心にて満足を与え下さる神様なり。(息と風に関する事は宇宙間の万物一切此の神様の理なれば見分けせざるべからず。)目耳鼻口の四より入り、喉を通り肺より口に通じ口舌にて呼吸を働かし、あやちの吹き分けする、其の工面をするは九曜星。故に何事を聞いても喜ぶは此の神様の心なり言葉の自由耳に聞けるは風の働きなり。

 

 此の神様の働き有りて世界に空気の流通、風が起り、肉体に於いては言葉物が云える聞ける。又鳴り物が出来、皆陽気に暮らさす為なり。空気の働きがこの神の風、水と火、陰陽の気也、三宝大荒神。音声は月日の御恩、風は天地親様の息、風がなくては万物一日も生きて働く事が出来ぬ。

 

 人間創め動物一切の息をする草木に至る迄呼吸をなし空気の流通、即ち風によって万物生育繁茂し、草木の花咲き実乗るも、露潤いの降るも、水気蒸発して乾く雨となり降るも、皆此の陰陽の気。風にて道具神様が御働き下さる。人間も物を云う事も聞く事も出来ざれば人は万物の霊長と云う其の働きが出来ん。何の陽気も楽しみもない。

 

 空気も息も同じ息をして居るだけでは分らん。風が吹かねば分らん、人間も物を云わねば分らん、心の真実が分からん。風が無くては月日陰陽の真実が働かす事が出来ん故、神の真が現れぬ、分らん。世界に空気が有るだけで流通する、風がなければ空気窒息死する。水中に棲息する魚でも空気が通わねば死す。例えば夏日暑さ激しくして風なき時は苦しい如く、全く風なき時は生きる事が出来ない。

 空気が自由用に変わって流通下さるで、清き新しき空気を吸いて動植物の身が養え精神爽快に陽気を生ず。宇宙の陽気も人体小宇宙の陽気も同じ。

 

 風によって養い、汽車汽船軍艦とか諸器械の運転ことごとく、水火より生ず風、即ち蒸気の力なり。飛行機等虫鳥類も同じく風の力で飛行する。何千石の積荷をする帆前船も風の力で運搬す。電信電話を以って何百里隔たり居て話が出来、或いは無線電話とか皆風の働きなり。耳の聞こゆるのも風のため、入れば納まる、言葉で助けると云う助けるというも治めるというも同一の理なり。

 云うも神、聞くも神、云う其の時の心が神の守護。耳に入るのも神、聞いた神の真実の理が心に治まったら神が心に宿って下されたものである。

  例えば神様の理を教え仕込むのも神がさして御座るのである。人間で出来るものではない。尋ねるのも神、聞かすのも神、病人でも皆神の守護で懺悔が聞ける云わにゃ分らんで神が聞かせ給うなり。

 

 声の優れてよき人は前世より余程天の理に叶うた心が使うてあるなり。心にきれいな所が有るなり。かしこね様の理に一つも不足なきものなりし、因縁言葉の優劣も此の神様。美声の徳、弁舌話子の達者上手。又木の実は実と云うて、果物は此の神様の理。其の他実を結ぶと云う理は、同じ風の働きなり。

 勿論未申酉戌亥子此の北西は男神陰にて水の気風も寒冷。丑寅卯辰巳午此の東南は女神。陽故火の気風も温暖春夏に生育する粒気草木は女の理。昼陽秋冬に生育するものは男の理にて陰夜の理。陰陽の風交じりて粒気草木育ち実を結ぶ春夏に生長するものは秋の気。秋風及び北西の風にて実乗り、秋冬に生育するものは春の気春風東南の暖風によりて実入る如く、皆陰陽男女の理なり。

 

  かしこねの尊は六物六臺六くは即ち誠であり、真実なり。月日陰陽和合の気なり、風なり、言葉なり。六臺始まり六く睦まじき風、六臺とは木火土金水風火と水が合うて風が出る。息は風なり、火水風よりほかに神はないと仰せ下さる。水気温み風三つにて宇宙の万物は自由用自在の働きが叶うゆえ、三つの宝大の荒神也。人間始め一切の動物も息が通って五体が生きる。息が切れたら死す、即ち神が退くゆえ心魂がぬけてしもう。三つにて三千大世界という、人間の心魂をみたまと云う。

 

鳴り物一切は此の神様の理にて出来たるなり。人間陽気に勇む、道具楽しむ、喜ぶために月日両神より此の神様を道具として心和らぎ、天地の陽気に合うよう御守護下さる。音声一切音のするもの皆此の神様の理。月日には人間創めかけたのは陽気ゆうさん見たいゆえから。世界には此の真実を知らんから皆どこ迄もいずむばかりや。又いつ迄信神したとても陽気ずくめであるほどにと仰せある。

 之れは世界が澄み切ってからの事、陽気遊び、陽気勤めをする事なり。陽気遊散を見ようとて人間を拵え下された神様の御心、神楽勤め鳴り物入れて勇む、元々の十柱の神様の御姿を形取りつとめる。鳴り物を入れて御勤めするは八方の神様に人間の心の調子を合わして通るなら心きれいに悪気の欲が切れるから勇む理。

 

 神は人間の心を楽しみ給う。人間勇めば神勇む。心一つより神様に勤めるものはない。一切のもの身体は神のもの、人間は神様の一の宝、一の道具也。水気と温みが和合して風が起る智恵も同じ。智恵は夏の理、誠は冬の理、誠が表に現れて智恵裏表。前世に誠が強かりし今世に智恵が有る理なれど、もし誠が無くして智を働く場合には大なる悪事となる。

 

 誠が有って智恵を働かす人は総理大臣にでも成る如く、智恵の使い方、誠を失いたれば悪風となりて、人を害し、社会の平和を乱し、遂には我が身を滅ぼす言葉息に関する器官、聞分けに関する器官の病一切の障り、皆此の神様御意見なり。

 人間は思う心と行いと同じではなくてはならぬ。云う事と行う事が合わぬ様では何にもならん。に云う事は必ず行う。自分の行わぬ事は人にも教えぬ、云わぬ。人に云う程の事は己が行う。守らん事は人にも云わん。言う事と心の行いと同じでなくては天理には一切外れる也。人を喜ばしむる人に満足を与えるというは人を助ける心にして人を治むる心なり。六くは誠にして、陽気に勇むは神の御心に叶うものなり。