正月祝の訳並びに門松を立てる理

  正月とは此の世の人間を月様が正しき御心にて始め下されたる故に年の始めを正月と云いて今に祝うなり。元日とは日様なり松を立てるは、雄松雌松を左右に建て七五三を張りて年徳大善神と祭り礼拝するは、年徳とは十二ヶ月三百六十日は皆月日の守護にて、一年の内に五穀野菜綿糸一切御与え下され、又立ち木魚鳥迄人間の為に御守護下さる故に、此の恩徳を受け年々立つなり。

 

松と云うは三代目辛の立つを待つという理にて三年目に芽出で辛のたつまでは古葉落ちる事なし。木の芽は一年が人間一代と同じ理なり。門松は三段なるを理とす。我が身夫婦一代、子の夫婦で二代、孫の夫婦にて三代なり。孫を産む者を我が身よりはよめと云うは是三代の世の芽を出す理にてよめという。孫の代となりていう時は二代を父母と云い三代をじじばばと云う我が身より前後を父母祖父母子孫と云いて五代のものなり。

七五三はしめなり。其の七は天神七代、五は五倫五体、三は産み広め産の理、奈良長谷七里を七日にて一廻り人間最初五分より生じて五尺となる。産で三度産み下されし理ににて、着物七襦袢五帯三身の内にまといて居るは是れ神の八形の証拠也。

 鏡餅一と重ねの理は月日二方の御身輝く理にて鏡と云う天地也故に夫婦心円く柔らかにして仲善く揃うて暮らす心を供えるなり。

  みきと云うは正しき真っ直ぐなる気を供うるなり。故に木の直なるを幹と云い横に出るを枝というなり。木の実を供うるは最初人間食物の始めは木の実なり。

  正月七日五日八日より十二日まで三日十三日より十五日まで十五日の間をしめの内と云うは月様十五日となれば満月と成り給う、人間もまる十五歳となれば一人前なり。数の子は元いざなみ様が九億九万九千九百九十九人の子数を腹に持ち下されたる理。

  鰊という妊娠の理にてにしんと云う七日十五日に粥を食するは人間元泥海より昇りたる理にて、かゆとはかいにて海なり、正月元日より十五日迄の祝いと云うは元本始まりの理を忘れぬ為人間に親神様が教え下されて今に形を行うものなり。