おしい

  惜しいは日様の性を受けるに依って火の性は物が減る無くなる、消滅するの理ゆえ人間も物の無くなる事を惜しむという心が生ずる。例えば火を焚いても薪が一つ/\なくなるから湯が沸いたらもう薪を焚かん之れは惜しむ日様にかければ物がへるから惜しいと云う心が生ずる。

 

 日様は慈悲という暖かみで万物が育ち実を結び、慈悲で物をへらして下さる神、人間始め生物身を養い、食えば減るたべる、昼、真昼、衣食住一切の物は使用するだけ減る費える消える理、陽万物殖やして下さるは太る月様、陰、夜、よる理。人間は其の日様の慈悲で物が無くなるのが惜しくなる、減るのが惜しい。人に慈悲慈愛を施すべき事をせぬのが惜しみ、惜しむは物を大切時間を大切惜しんでよく働き、万事不益に費やす事を惜しむ、是れは日様の理に叶う誠の惜しみなり。

 

 腐る物でも腐らぬよう、廃るものでも廃れぬよう全て不用の事を惜しむ、たとえ菜の葉一枚でも宇宙間のものはことごとく神様の誠から出来たるもの故、粗末にしてはならんという心がけは天の大恩を知る心にて、不益の事に減る事は人間も惜しむ心が無かったら物がすたるから此の心なくてはならん。

 

 いわゆる勤倹、節検等此の心は無論世の中の平和幸福の基となるべき心故、神の心に叶う。人に出すべきもの出し惜しむ減るべき物を減り惜しみ、身惜しみ骨惜しみ貰うたら貰いどく、恩を受けても恩を返すが惜しい人に与うべき事を惜しみ、人の事に互いに働く尽力する骨折りするが惜しい。

 

 人を育てる教える人の事にひまを惜しむなど、又負け惜しみ/\をして却って我が価値を落とし、人に笑わるゝ事になる。天の理では負ける如く人に親心を持ち気長く、慈悲にて人に勝たす心のなき、負けん気で負けても負けん、負けとうないから、喧嘩争い意見の衝突から腹立ち合い、人と心合わすべき所も合わさず、云い合い恨み憎みとなる如し、物の消滅するのは日様故、惜しいそれ故に惜しい心を十分使うて行きたなれば物がへる無くなってしまう。惜しい心を去りて、心明らか清くなるに従って慈悲心が広く大きくなる也。

 

 先を案じる心は神を疑ごう理なり。神は人間安心さす為に世界中に万物を作り与え下さる。例えば今年から種を蒔かせて来年の用意をさせて下さる如し。何程財産が沢山有っても結局は我が身に付くだけが我が物。其の他は皆世界のもの、人のもの、例えば生まれる時は裸体で出て、死ぬる時は手ぶら、天理の宝は持って死ぬ事は出来ん。此の宇宙間の物は身体を始め一切が神の物生きて居る間の借り物なり。

 

 人間の物は形の無い心一つよりない、其の目に見えぬ心魂の前生より今生に日々という日々常に働く理に依って身上始め一切の物を貸し与え使わして下さるものである。なれども此の心一つと云う理が中々分りにくいもので、人間は身体始め財産一切は我れのものと思い、只有形の物に心を捕らわれて心の理が軽くなりやすく目に見えた物に惜しみばかりで欲しい惜しいの埃が離れ難いのである。それゆえ心小さくきたなく惜しみの心を生じ出すべき事でも出さぬ或いは義理をかき、身を惜しみ、人を助くべき場合でも助けぬ。

 

 人は苦しんでも何も構わぬ如く、或いは身分相応の社会公共な為国の為にも尽くすべき事尽くさず、救済又は貧民慈善の為とか云う事全て惜しんで成すべき事を成さぬようになるのが埃と仰せ下さる。神は世界中に万物を作り給い、又人間に貸し与え下さるものなれば使うて価値が有り、又神の思し召しに添うのであるが、もし使わぬものなれば神が御苦労下さって作り上げ人間に与え下さる必要もない事になる。是れを一々惜しんで使わんというは神様の大恩日夜御働きの真実を無にする神の働きを止める理になる。神は人間が衣食住全て一切の物を使うて喜んで陽気に暮らすを目的に楽しんで万の物を守護して与えて下さる。

 

 人間は神の八形を貸りて、女は女神様と同じ事、男は男神様と同じ事をして居る、皆神様と同じ徳を受け神様の代理、神様の御心を現わすわけである故に神の御心、即ち天の理に添うて誠という心の働き有れば人は互いに助け合い、慈悲心厚く人の世話する為には惜しまぬ、真実の心は神様の代理故心通り天より与わって幸福を全うする。

 

 惜しむ心は天より惜しまるゝと同じ理になって、神は人間の心の理に依っては与える事が出来んのであるから、天の理に反し誠が無くして例えば人に辛働さして、自分が食うて楽をせよ、何かよき手段が有れば人を絞っても身に付けよ、何でも人より貰う事や人の慈悲を受けたいというような卑しい心なれば、神は正直皆心通りの守護がないゆえ一代その卑しい心の境遇に居らねばならんが理なり。又人間形の上から見れば、算盤上では人に出しただけは損取り込んだだけは徳というような算用だが、天理は違う故、無理な取り込みすれば理に理が増し倍にしても吐き出さにゃならん。

 

 又人を助けた理は一粒万倍の天の理で我れに与わるのである。前世を一貫して前々よりの心の理に依って身上及び財産一切は貸し与え下さるものなり。例えば十銭の代物でも八銭に買いたいと云う人は損してもかまわん段々心きたなく通った理で金銭の不自由せにゃならんと云う如く、壮健の身体又沢山の財産すべて有福の境遇にある人は前世の徳に依って、神より十分借れて居る少ないものは少しか借れて居ないので心の理心の徳であるから其の銘々の心から現れて居る境遇一切即ち身分だけ力だけの働きが出来ないのである。例えば山を稼ぎ田を作り汗脂を流して儲けた金は中々綺麗には使えん之れは当然の理である。

 

 財産が多く有り又は地位が高くて収入の金が多ければ楽な金だからきれいに出せる使える、入るに綺麗なれば出すに綺麗に出せるというは此の事きれいに出せばきれいにはいると同じあたかも井戸水でも惜しまず汲み出せばきれいな水が這入る。惜しみて出さねば這入らぬ水が腐る如し。そこで世の中は下等社会に暮らす者はつまりきたなくなるは当然の理と成るので有る。辛働して汗水垂らして少しずつしか与えが貰えんものが綺麗には使えん使う事が出来ん。神様は身分相応、力相応と仰せられた心一つの理よりない。

 

 昔の諺にも長者の万燈貧の一燈と云うてある如くで神は心の誠真実を受け取って下さるなり。下等社会に生まれ出るも貧困の身分で暮らすのも皆前世に通った心の理に与わる境遇では全て不足々々足納出来ず誠の無き心で自分の欲深く、或いは人は難儀してもかまわん不正の道を通り人の為とか社会公共の為とか云う様な事は少しも顧みず人の事に成す事や出す事をきらい只我が身我が欲わがままし或いは金持ち財産家で有りながら欲を深く人を痛め、人をしぼり苦しめるとかすべて天の恩人の恩を着て其の種を蒔いて今生に出る誠のない心の小さい因縁で今生の境遇が心通りに与わる故、やはり心小さくきたなく通らにゃならん。皆心の徳心の力だけの働きが出来ん。不自由難儀になるのは恩に恩が重なった故也。

 

 全ての病は血液の不調から起るがことに血のめぐり悪しき、温みの無い病血の狂い等一切は皆誠の無い人を助ける育てるというような心なく、我が身の事ばかりに心苦しめて居る慈悲のない、心小さい気短い悪心が取れぬ理から悪血が出来る。神が貸し下さる筈はない心で拵える欲しい、惜しいの埃が取れたら心は清浄になる八埃は此の二ツが根本。