くもよみの命(雲読尊)


 雨水昇降主(人間万物養い下さる神飲み食い一切)

 

 此の神様は人間万物に飲ませたい、食わせたい御心にて身を養い下さる人間可愛い、飲ませ食わせ下さる神様なり。しかして有形無形心の養いは無形のものを食わして養育理を食うて、成長し太くなる。分け隔て無き可愛い御心。人間で云えば此の人に好き、此の人に嫌いという隔てのなき人を可愛がる心也。

 

世界全体水の降り昇り飲み食い一切の自由用は、此の神様の理なれば見分けすべし。身の内にては食物の味を八万四千の毛穴より天に昇る其の味を受け取り下さって、草木粒毛一切に味を授け給う実乗り一切、宇宙間に生命を保つもの一切に飲み食いをさし養いを付け下さる。又人間二便通じ、分けに付いては大用十六小用十三回り御働きなり。

一家にては食物拵え等、内で働く又小児の二便の世話をする婦人は此の神様と同一の理にて、家の内にて使用する道具は此の神様の理也。或いは膳椀櫃鍋釜女道具等皆同じ。

 

  世界にては草木に水の昇る養いを付け下さる。例えば物を洗いたる悪水は、地に入り肥となり、良水気は御預かり下さって雨と降らし給う如し。雨のあはくにさつちの尊、めは命人間の命を続ぐために草木を養う。食物雨露水気の昇降は此の神様、此の神様が無くては万物は身を養う食う事が出来ぬ。又食べたものの粕は下げ、養いは入れ、草木でも根から養水を吸い上げて葉まで昇る如く、体内に水気養分が入り、又出でするのが此の神様の通力働きなり。

 草木も夜は露潤いで養い、人間も食物が進まず、咽を越さねば何程に思っても此の神様入込まなければ食べられぬ。食物の道が止まり飲み込めぬ時は身を養う事が出来ぬ。又飲み食いの粕を出す道が止まれば身が持てぬ。

 

  又子供生れ落ちるや誰教えねど乳を吸う力、乳の如き慈悲なるものの出るも皆神が人間可愛い々々の真実の甘露である。又例えば子供が腹を減らして帰って来る。親は其の時刻を計って食べ物を拵えている如きなもので、それが親の役親の慈悲。子供は腹がへるまでは分らんようなもの。人間が何程可愛い我が子が渇えて苦しんでも乳が出ぬか、又食べさす物がなき時は仕方がない、食物がもし世界に出来ぬ時は一日も生き物は生まれぬ。

 

 又物を干すにも水気蒸発して上るから乾く。水気地が骨の中まで潤し、体内器械部を養う、此の巡る液が或る一部に滞りて変色し、粕や不用物の出るべき物が出ず、悪水が溜まるで患い痛みの元因となる。水は月様なるが、此の水の働き或いは雨となり、露となり、昇り降りするは或いは使用する器に入れる汲み上げたなら、此の神様の理となる。或いは気体と成って蒸発し、流動体と成って巡り固結の状体と成り其の妙用無量也。

 

 人体始めとし一切の動物食物水気昇降して身を養うものなり。人に飲ませたい、食わせたいという恵みの心慈悲此の心の無き人間は、人に味わいが無い。御道に取れば教理を施すも食べさす理、無形の物を食べさすから心に満足を与える、人の心を養う育てる。此の可愛いと云う心は人間に最も麗しき心で、諸徳の基であるが、可愛い埃と云うは我が身欲から隔て有りて間違いとなり、いわゆる邪愛とか偏愛とか云う如く、皆埃が有る故、変る。罪埃が出来る、埃のはなれた誠の可愛いは変らん、あたかも親が子の可愛い心は変らん如く、真の親心、誠の可愛い心は神の御心と一つなり。わが身勝手身引きより起る可愛いは欲なり、故に憎みと変ずる。

 

  月様の水を昇り降り出入りをする水の働き一切、人間始め動物が使わして貰う。日々水を使用するはくもよみの尊の理で、自由自在に使わして貰えるものなり。水は上に昇りては或いは雲となり、霞霧もやとなり、雨露となり、雪氷霜雹となりて妙用を成し、下に在りては泉水河水井水谷川溜め池堀等を使用する。

 

 或いは食物の煮炊き湯茶入浴洗濯物等を干せば水気が乾きて昇る。降った水が何時迄も乾かぬ時は、困難なるが早速蒸発して昇る故、地上も乾く如く、或いは溝畔、水管、水車、水道、等設けて自由自在に水を使用する事の出来るはことごとく此の神様の守護に依りて叶うものなり。

 もし是れが人間の自由になるものとせば、天候不順で日照り打ち続き、或いは長雨降り続き等にて飢饉となり、日照りのために水不自由、或いは俄かに地中より水湧き出て、降雨と共に大洪水等にて困難する必要なき筈のものとなる訳なり。

 

それが皆人間の左右に出来ぬものなれば全く此の世は人間の自由に非ずして、神の支配なり。身の内に在っては飲み食いの出来ぬ。股二便通じに関する器官の腐敗障りは、勿論身の養い、心の養いに不自由となる。糧食の不自由作物不作等は一切此の神様の御意見。又人が可愛いと云う食わせたい、飲ませたいと云う心は誠にて親の心慈悲なり。