十二下り目

一ツ  いちにだいくのうかがひに  
   なにかのこともまかせおく
という理は、大工というのは元神の社から一に渡す
のが大工に渡すという。
その大工より天から御諭し
下さる言葉を真実に行い心に定めて世界を助ける
心の
人は誠に大きな工なり。これも大工という。
この工を厭わずして人も世界も助けたいと
思う
心の者を神が守護して如何なる事でも助けさす
という事なり。
二ツ  ふしぎなふしんをするならば  
   うかゞひたてゝいひつけよ

という理は、紋型ない普請するのは伺い立ててするがよい。
また、
身の内の普請も心の懺悔また心の定精一杯に尽くして
分からん時には親にもてれて
伺い立てて、またその伺いの
言葉を悟りて懺悔さす事をいい付よという事なり。
三ツ  みなせかいからだん/\と
   きたるだいくににほいかけ
という理は、来たる大工というのは、寄り来る人に
隔て
けれどその来る人の心に隔てが有る。隔てと
いうのは何程悪気、強欲な者でも一夜の間にも
心入替えてその心
を生涯忘れぬ者を大工という。
香いというのは月日二柱の親神が心を映す所が
香いという。
これを大工というまた、細工という。
細工というのはどういう事なら道具でも
損じた物を細布という
人間も心を損じたら身体を損じ
所心の懺悔をさして身体を自由用さすのは細工といい、
大工という、これに香ひを懸けるとう事なり。
四ツ  よきとうりやうがあるならば  
   はやくこもとへよせておけ
という理は、棟梁というのものはどういう事なら
棟梁とは十方の領なり。
十方とあれば人間も世界も
十分の領なり。十分の領なれば十分心を定めて
十分世界を助けて
十分の人の難渋を憐れみて銘々も
自由用自在の守護を受ける者を寄せて置けとの事なり。
五ツ  いつれとうりやうがよにんいる  
   はやくうかゞひたてゝみよ

という理は、四人とうのは神は四方正面四方一同に
助けたいとの思召で四人という、またよ人ともいう。
餘人ともいうのは沢山にその心に適うる者要とういう事なり
六ツ  むりにこいとはいはんでな  
   いづれだん/\つきくるで

という理は、無理にどうせともこうせともいわん難しい
と思えば懺悔して
心さだめて何にんもならん。
また、神は六句の守護六句の世界なれば、
人間は
六体の借物であれば六句の守護に隔て心が有る故に
我が心で難しいなるし、
仕易い事が難しいで
無理な事が仕易いと思う心を親はどうせこうせと
もいわんまた、
助けするにもその通り、無理な
懺悔はさすに及ばず、何れ後悔する日がある事なり。
七ツ  なにかめつらしこのふしん  
   しかけたこならきりはない
という理は、何かこれ迄紋型ない話を聞かして人間の
助けをするのに
人間心を取らすのは難しい。人間心は
凡夫心という。凡夫とは思う事の多い者。
その心をすつ
きり取らすばなか/\一寸の事でなし。一寸取りても
たんと付ける、
付けたり取りたり取らしたりする心を
定めさすのは中々容易でいかんという事なり。
 やまのなかへとゆくならば 
   あらきようりやうつれてゆけ

という理は、山というのは世界中の凡夫心。天理の道を
知らぬ者を山というなり。
その所へ助けに行く
大工は荒木棟梁というのは、こまこい話では聞き分け
ができぬ、聞き分けがでけねば懺悔がでけぬ、
懺悔が
でけねば神も助けがでけんから荒い話しでも聞き分け
て荒い懺悔をしただけでも神は助けたいとの
手引きで利益を渡すとの事なり。
九ツ  これはこざいくとうりやうや  
   たてまへとうやうこれかんな
という理は、小大工とうのは神の道も知り理も段々と
聞き分けて心を定めて
人を助けている内に心が違うて
身体の違うた者は懺悔をさすのは荒い話では
いかん。
理の理を教え元の元を聞かし道の道を調べて誠に誠の
有るないを考えて
世上世界の理と天の教えの理とを
引き比べなに就いてもぬけ目の無きようい諭する者を
小大工棟梁とう、
この心にみがきにみがきを懸ける者を
これ鉋というなり。
十ド このたびいちれつに 
  だいくのにんもそろひきた
という理は、何様の事も神の自由用の通りに
道明けをさす人数も皆それぞれに国々所々に
でけ立来る事をいうなり。