太古より続く森である。縄文時代息吹を感ずることができる。

この神社と地域では男女、陰陽、伊弉諾尊、伊弉冊尊、国常立尊、面足尊夫婦の理が充満している。

與喜山は、古くは大泊瀬山と呼ばれ、古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめられました。『万葉集』では初瀬(長谷)にかかる枕詞「隠り国」一山に囲まれ隠っているような地一は、この自然お姿から生まれたのです。 万物の生命のみなもとである太陽と、母なる慈愛を神としてあがめたのがアマテラスという女性神で、天上からこのお山にはじめて降臨されたと伝えられています。 現在の本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座(鵝形石)に祭られているのが天照大神で、女性の守護神として信仰されています。 一またその後方の鍋倉山には、延喜式式内社の鍋倉神社が磐座に祭られています。 ご祭神は大倉姫神、別名・下照姫と申し上げ、『古事記』の世界では大国主命の娘で、その美しさは、衣を通して地を照らすほどであったといいます。

 

天照大神(伊弉冊命)は下照姫と呼ばれ、大国主命の娘であろうか?

本来山頂に祀るべき素戔鳴尊であるが、大和朝廷により、はるか下に格下げの意図のため祀られせられている。

 

大和朝廷は、日本の神々の関係性を徹底的に破壊している。

ひっそりと庶民とともにあった素戔雄神社。大和朝廷により格下げの場所に祀らえている。

白髭神社は法起院の向かい側に鎮座する旧指定村社。奈良時代の749年(天平勝宝元年)に創建(鎮座)された神社。

 

  祭神は猿田昆古命(さるたひこ)と天宇豆賣命(あめのうずめのみこと)で、神社の由緒書きによると、『 この神様は、寺垣外、上之森、下之森、与喜浦の四区域の氏神様であり、常に氏子を見守って居てくれます。御祭神の由縁に依り、縁結び子宝の神として崇められています 』とあります。

 

 

 

 

 桜井市史によると,地元では普請方除の神様といい、俗に「礼荷(らいふ)さん」と呼んでいる。その他,稲荷社と山の神(自然石)を祀る。例祭は12月15日。なお、この神社を「長谷寺密奏記」がいう三尾神にあて近江国高島三尾崎の神とし、長谷寺本尊の衣木が流れ出たところとする因縁で祀られたとする説があるという。

 

 

そして社はまるで牢屋に入れてある状態で施錠までされており、お供え物も献上できない状態。
大和朝廷がこの神に対する恐れや、幽閉しなくてなならない理由はなんでろうか?

 

大和朝廷(唐人)恐れる神々、それはもともと祀ってあった神社、つまり倭国で祀られていたほろぼした倭人が祀っていた神々か?

 

間違いないことは、大和政権・唐人は国津神の主祭神である国常立尊の復活を一番恐れていた証拠であ