いざなぎの命(伊弉諾尊 )・いざなみの命( 伊弉册尊 )


  此の二神は月日に添い給う、又つきよみの尊、くにさつちの尊に添い給う時と有り。此の二神は人間身の内では種苗代(交合)。外は別に御守護所とてはない、月日二神に添い下さる、元々月日両神の代理と成って下された神故、九と十が此の神様。男一人女一人では子が出来ない。元々無き人間世界の時に此の二神が人間の雛形と成って下さった。今は人間に種も苗代も有る。

 

此の二神人間にては夫婦父母なり。また男子と女子が此の二神なり。身の内にては色情の時だけ夫婦と成ったら、男はいざなぎ様、女はいざなみ様。世界にては種物一切と種を蒔く田畑(苗代)一切の御守護なり。月日二神が神、いざなぎ、いざなみ二神が親、後、六柱の神が道具神、月日両神の手足となって御働き下さる。

 

いざなぎ、いざなみ二神が種と苗代。人間男は種、女は苗代の理にして、是れを御道に取っては理を心に治めたるものが種なり。理を教えるのは種を蒔く也。種は心の有りて口で蒔く。其の種を受ける蒔き付けるには是れ迄の土を掘り返しスッキリ改革して苗代を作りて種を下ろすなり。是れと同じく、前世より因縁に錆たる心を改めて真実を定めて、然る上理を聞き込む仕込んで頂くと云うのが、此の度のいざなみ様の話で有る。この蒔いたる種を修理肥をして作り上げぬ時は其の種を失うてしまう。他の時物に心を触れて心の理を失うて無くなってしまう。

 

神様は種なくしては実乗らうまいと仰せ下さる。又やしきは神の田地やで蒔いたる種は皆生える。天理を神の田地に蒔き付けて置く事、田地は何ぼうでも有る。即ち人間は何程でもあるけれど種が無くては蒔けぬ事なり。人間色情の間違いがいざなぎいざなみ二神へ対して一番の不幸に当る。色情の間違いが一番重い故、是れの間違いは人間の形が崩れる。異変って来る片輪という、目が潰れるとか、鼻が落ちるとか、いざりとかちんばとかかくの如きものは段々進んで行けば牛馬にでも成って行く。

 

見えん所に出る病気は多く、欲人に見せて恥ずかしい身上は皆色情不具一切色情の理、色情が人間雛形故、色情で人間が出来るもの故なり。甚だしきは兄弟が夫婦になったり親子が夫婦になったりするものさえある如く、色々色情間違いの堕落が生まれ変わると片輪になる。

見せともない、見られて恥ずかしい、すべて子供にでも(不具)理が出るのは、其の人の来世を神は知らせて居って下さる理なれど仕方がない。人間の堕落は神も仕様がないと仰せ下さる。此の男女の道、正しいが天の理也。故に此の道が綺麗に有れば神の八形としての人間の雛形は立派に形造られるものなり。