天河太々神楽講とは

天河太々神楽講(てんかわたたかぐらこう)とは :大峰本宮天河大辯財天

神道の原点には『私達のいのちが、大いなるいのちの一部分であり、

私達のこころは、大宇宙の大いなる意志の現れである』という考え方があります。


この考え方は、私達が科学の進歩を経て理解し始めた地球の生命の仕組と深く合致するものです。

地球はガイアそれ自体が一つの大きな生命体であり、

私達人類はもちろんのこと、動物も、虫も草も木も水も岩も、風も、

全てが互いに結びつき助け合って地球の生命環境をつくり、維持している、という「ガイア理論」です。

私達の祖先は、はるか五千年以上前の縄文時代から「ガイア理論」すなわち、

生命の本源の姿を知っており、その生命観が神道という、

宗教ならざる宗教を生み出したのだとも言えるのです。

 

ところが過去一世紀の間に私達は、物質的な豊かさを求めるあまり、

この生命の本源の姿を忘れかけていました。

生命の本源からはずれた生き方は必ず、生命そのものに病(ストレス)をもたらします。

それが最近の地球環境問題であり、人々の心の病なのでしょう。

 

今、世界中で、本当に多勢の人々が、精神的(霊的)な元気回復を願っています。

 

神社は古来より、人々に「霊的元気回復」をもたらす「場」でした。
神事とは古来より、人々に「霊的元気回復」をもたらす「時」でした。


天河大辨財天社は、その歴史的背景、自然環境、天河社宮司の思想など全てを含んで、

二十一世紀を生きる私達が「霊的元気回復」をするのに最もふさわしい「場」です。

その「場」に、国、職業、年齢、性別、宗教の枠を越えて、多くの人々が、ひと「時」集い、

古来からの厳粛なる神事に立ち会い、感動と共に生命の本源を思い出し、

からだとこころを清らかに禊ぎ、霊的に元気を回復して社会に還っていく。

こんな「時」と「場」を生み出してゆくのが、二十一世紀の天河太々神楽講であると思います。


人々が霊的元気を回復するための天河太々神楽講のあり方は、無限にあると思います。

厳粛なる神事を体験する、参集殿での様々なシンポジウムやワークショップ、

薬草及びヒーリングの研究、能舞台での演奏や舞、ヨガ、気功、写経、瞑想、

星を見る、温泉に入る、茶粥をすする、自然を散策する・・・

 

21世紀の太々神楽講とは

(一)講は、組織ではなく、ネットワークである

講は、ゆるぎなく固い組織づくりをめざすのではなく、自立した個人が、それぞれの意志で、それぞれのやり方で参加し、互いに異なる魂の輝きを尊重し合い、磨き合って、生命の本源に触れてゆく、やわらかく、開かれたネットワークである

(二)講元は指導者ではなく人々のつなぎ役である

講元は、組織の長、指導者ではなく、人と人をつなぎ、人と神(生命の本源)とをつないでゆく、つなぎ役に徹する。

(三)講の参加者は日常生活の境目を越える

日常生活にはめられている境目を自ら、ひととき越えて自分とは異質の考え方、多様な魂の在り方に触れ、多様なものが、多様なままに共に生きる生命の本源をとりもどす

(四)講のネットワークは分かち合いの心でつながれる

他者を排斥し、自分だけが生き残ろうとする狭い競争原理、生存原理から開放され、他者と分かち合うことこそ、自らの生きる力の源になることに気付くこと。それが太々神楽講全体を生命力あふれるものにすることでしょう