満潮干汐の訳

 朔日十五日朝六つ宵六つ満潮   夜九つ昼九つ干汐なり

 八日二十三夜夜九つ昼九つ満潮  朝六つ宵六つ干汐なり

 

 しおとは四方の事四季の事此の世は月様の御神体北に頭を取り東より南西と四方くるりとしめる世界なり、此の御心味。四王と云うは心を真と云う、真を骨と云う、骨を四方根と云うも同じ事。此真は神なり心なり、其真の気が即ち味なり、天地なり大海の潮汐は、天地の息なり。天地の息には呼吸と云うて一日一夜に二度宛づつの息あり、即ち月息は潮満ち掛けて来る。

 

 又日の息には汐干くなり月息は是元素地に下さりて潮緩み溢れて殖ゆる。日の息は是元素地に上りて塩沈む是れに依って満ち干するものなり。此潮の差し引きには刻限四分宛づつ違い日々に有り月様は此世界の王月体天地の自由用にて人間有り世界有り。

 それには万物有る大海の潮汐の満ち干も月の出に満ち上がり月の入るには同じく潮満ち上がる是れ月は万物を司る元にして人間鳥畜類魚貝の類草木等に至る迄天の月様の養い下さる潮汐の味を世界へ潤わせ給う故に、大海の塩水が引く也。

 故に月の天井には必ず汐干となりて引く併して東西南北の違いに依り満ち干の刻限少しは違う、違うだけ月の出入りも遅き早きあり。

 

  即ち十五日の月の出は夕の六つ時にて潮の満ちるも夕六つ時なり月天井は夜九つ時なり此時に全く潮干る底なり然れども世界の広き事なれば東洋と西洋とは月の出入りも時刻も違い有る故満ち干きも違い有る也。

 

 月の出入りにつれて満ち干をするものなれば其所では月の天井には必ず潮干る也刻限の違うは日々日の出の時が違う故月日には夜昼同じ様に照らし下さる故神の守護に違いはなけれども、例えば朝寅の七つに日の出る所と卯の六つに出る所と五つに出る所とある如く、日の入りも申の七つに入る所も六つに入る戌の五つに入る所と有る故潮満ち干きも同じ又東西南北に依って少しは違い出来る。

 

 世界の真の地は元の子として神として一として、天地世界の元也。東とは日を貸すと云うて、人間万物に温みを与えて照らし下さるものなるが其の所に依って方角も同じからず。北と云う根は元故、定まれ共東西南の三方は所々にて少々は日の出も違う也。月の出も同じ事、矢張東より西へ入るなれど出入りの刻限は違い出来る也。

 

  朔日は朝六つに出て暮六つに入らるゝが、一日に四分づつ遅れて三日には朝五つ二分に出で、夕の五つ二分に入らるゝ故、夕方には糸目程の月を拝む。十五日迄刻限四分宛遅れて十六日より四分宛早まる故、元の朔日には朝の六つ時となる。月の三十日を月籠りと云う。

 

  此四分と云うは一刻の四分にて一刻は時計の二時間百二十分の四分四十八分宛なり。又月は一日四分宛光を増して、十五日六十分満月となるのは水を司る、月様は人間万物生い育ちの守護下さる其万物の飲む水也。此呑む水を一日より十五日迄天理の元素と共に月様が与え下さる也。

 

 又十五日より三十日迄は万物に水気を与える為に元素を緩めて下さる也。月の光は元素也。人間万物此元素なくては一日も活きる事出来ん。此元素の水気も何時迄も入れて置いても温度の違うて腐る故、日々に四分/\の四季の運びに依って水を緩め巡り、又与えして守護下さる也。月は天の父親、日は天の母親、万物の親様也。

 

 月日の御守護なくば如何なる物も生を有する事出来ざる也。人間も母親の胎内へ宿し込み、日々の理の増すも成長するも、草木の育つも、花咲くも実るも、味の付くも、月日より水気を与えたり温めたり守護下さる故十用に育つなり。

 

 又月は万物の元の父に物を引き与え下さる也。日は万物を育て下さる元の母也。月日は天地の夫婦、南無と云うも同じ事也。月日有て天地有り、天地有て夫婦有り、夫婦有て人間有り、人間有て万物有り、万物有てそれぞれの用をなす。されば月日の守護は高大無限の南無なり。

 人間はなむ/\と二人づつ宿し込み下されたる故。なむ/\と陽気に暮す事也。大海の潮はなむ/\と何時も変わらぬ働きあるは天地の息。波と云うはなむと云うも同じ也。