供物道具並びに飾付け之理

 三宝は水火風。膳はろっくに揃いし理。翠とはみずの理。真菰は生れ落ち菰より出世する理なり。水玉は人間の心なり。此の玉の水の如く、一名一人の心澄まして、仲良く和合して暮らす心を親神に供うるなり。

 

 此の事を水の大恩を知ると云う。之れ、朝之明星なり。三つの燈明は人間の行いなり。身体明るう暮らす、世界明るう通る、行いを親神に供うるなり。明るうとは身に暗い行いをせぬ事なり。此の事を火の大恩を報ゆると云う。つ一つの理にて宵の明星なり。水玉は朝の明星、真心。燈明は宵の明星誠行い、心は夜行いは昼、鏡は月日二方の御身輝く理にて鏡と云うなり。

 

 神殿の左右に建て供うる榊は神の気なり。神は人の心とは逆なりさかきなり、人間も五才迄の小児は大人の心とは逆なり、神のきなり。毎例も青々として変らぬものなり。故に三才心と云うも同じ事なり。それ故に小児の髪の毛を月代と云い、さかいき、さかきの理なり。月代さかいき榊さかきかみのきなり、さんさい心なり。

 何時も変らぬ青々として陽気な者なり、満五つ即ち六十月之間は欲もなく心配もなく案じ心もなくして神の気も同じ事なり。