にち/\に月日さんねん山/\と
つもりてあるをはらしたいから 8-1
このはなし月日をもわくだん/\と
なにかよろづをたすけなるのわ 8-2
しんちつの心したいにとのよふな
つとめするのもみなたすけやで 8-3
月日にハせかいぢうゝハみなわが子
たすけたいとの心ばかりで 8-4
そのところさしとめられてさんねんな
まだそのゝちハとりはらいまで 8-5
それゆへにたすけづとけがでけんから
月日の心なんとさんねん 8-6
つとめでも月日たん/\てをふしゑ
にんけんなるの心でわない 8-7
とのよふな事をするのもにんけんの
心あるつハさらにをもうな 8-8
このところいかなはなしも月日なり
どんなもよふもみな月日やで 8-9
いかなるのさハりついたもにんけんの
心わさらにあるとをもうな 8-10
このよふをはじめだしたる月日なら
どんな事でもしらぬ事なし 8-11
せかいぢう一れつなるのむねのうち
月日のほうゑみなうつるなり 8-12
それしらすみなにんけの心とて
わがみしやんをばかりをもふて 8-13
このさきハみなだん/\としんぢつの
みちをふしゑる事であるから 8-14
このよふのはじまりだしハ月日なり
なにかいさいをみなをしゑかけ 8-15
それまでだれもしりたるものハなし
なにか月日のしやんばかりで 8-16
けふまでのなによの事も月日やと
ゆうてあれどもまだわからんで 8-17
しかときけこのよはじめたしんちつと
ゆうてはなしハといてあれども 8-18
せかいにハたれかしりたるものハなし
なにをゆうてもハかりがたない 8-19
そのはづやこのよはじめてない事を
たん/\くどきばかりなるから 8-20
このよふのはじまりだしのしんぢつを
しらしてをかん事にをいてわ 8-21
いまゝてもたすけ一ぢよとまゝとけど
ほんしんぢつをしらぬ事から 8-22
どのよふな事でも月日ゆう事や
これしんぢつとをもてきくなら 8-23
どのよふな事もたん/\ゆてきかす
これをまことゝをもてきゝハけ 8-24
このよふのほん元なるよゆうのハな
このところよりほあかにあるまい 8-25
このはなしどふゆう事にをもうかな
どふゆはなしもみなしたいから 8-26
このよふをはじめだしたるしんぢつを
みな一れつハしよちせゑねば 8-27
どのよふなたすけするにも人なみの
よふなる事ハゆうでなから 8-28
いまゝてにみけたる事やある事わ
そんな事をハゆうでなそや 8-29
これなてにない事ばかりゆてきかし
しんぢつよりのたすけするそや 8-30
以下、欠損していると推測されるお筆先
(大正時代の個人出版のおふでさきには
存在していたお筆先)
一寸したるめのあしきやでけものや
のぼせいたみハ神のてびきや
このよふのちいとてんとハ一の神
それよりでけたにんげんである
このやしきかんろふだいをすへるのハ
にんげんはじめかけたしよふこう
なにごともみなこのとおりはじめかけ
せかい一れつこゝろせきこむ
このよふハどのなこともみへてある
せかいのものはなにもしらずに
つきひにハせかいぢうをみわたせど
もとはじまりをしりたものなし
このもとをどふぞせかいへおしえたさ
そこでつきひがあらはれてでた
このやしきこのよのおやがでてるから
おびやさんしきゆるすことなり
このゆるしもとなるおやのしよふこふに
おひやゆるしはたすけみちあけ
このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん
このよふにやまいつきものばけものも
かならずあるとさらにおもふな
どのよふなことがありてもこれをばな
からなずさらにやまいではない
せかいにハこれらとゆうているけれど
つきひざんねんしらすことなり
せいぢうどこのひとでもおなじこと
いづむばかりのこゝろなれども
これからハこゝろしつかりいれかへて
よふきづくめのこゝろなるより
つきひにはにんげんにんげんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから
せかいにはこのしんじつをしらんから
みなどこまでもいづむばかりや
にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで
どのよふなむづかしくなるやまいでも
つとめいちじよでたすけるて
このだいをどふゆうことにおもふか
これにほんのおやであるぞや
これさいがまことしんぢつおもふんら
つきひみわけてみなひきうける
そのはづやこのよはじめてないことを
しんじつよりのたすけするぞや
このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよのまむりこしらゑ 8-31
またたすけをひやぢうよふいつなりと
のばしなりもはやめなりとも 8-32
これほとのぢうよじさいをゆうのもな
よいなる事さらにをもうな 8-33
月日にハたいて心ハつくせとも
せかいぢううハまだせかいなみ 8-34
このよふをはじめたしたるほんしんを
ゆうてきかさん事にをいてわ 8-35
このところつとめばしよハにんけんを
はじめだしたるところなるそや 8-36
にんけんをはじめたしらるこのをやハ
そんめゑでいるこれをまことや 8-37
このはなしこれおをまことにをもの
どここもでもさらにあるまい 8-38
このよふなない事ばかりゆうのハな
これがしんぢつみなまことやで 8-39
いまゝでもないせかいをばはじけたハ
しらぬ事をばをしゑはじめて 8-40
このたびもまたない事やしらぬ事
ばかりゆううてまたをしへかけ 8-41
どのよふなものでもしらぬ事ばかり
これをふしへる月日をもわく 8-42
月日ひハたん/\しらぬ事ばかり
なにもをしへてせかいたすける 8-43
こらほどにをもう月日のをもうしんぱいを
せかいのものハなにもしらずに 8-44
心さい月日しんぢつうけとれば
どんなたすけもみなうけやうで 8-45
とのよふなたすけとゆうもしんちつの
をやがいるから月日ゆうのや 8-46
この月日もとなるぢばや元なるの
いんねんあるでちうよぢさいを 8-47
このはなしなんでこのよにくどいなら
たすけ一ぢようけやうのもと 8-48
このもとハとこをたづねてみたるとも
しりたるものハさらにあるまい 8-49
そのはづや月日たいない入りこんで
はなしするのハいまはじめやで 8-50
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし 8-51
月日よりみなそれ/\とみさだめて
善とあくとをみハけするぞや 8-52
月日よりなんでこのよにくどいなら
あしきみへるがきのどくながら 8-53
たん/\とをんかかさなりそのゆへハ
きゆばとみへるみちがらから 8-54
とのよふなものでも月日しんぢつを
うけとりたならみなたすけれで 8-55
いまゝでハどんなはなしをしたるとも
なにもみゑたる事ハなけれど 8-56
これまてもみなみへきたる事なれど
ほんもとなるをしらん事から 8-57
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも
これわ月日のざねんりいふく 8-58
この事をいまゝでたれもしらんから
このたび月日さきゑしらする 8-59
月日にハみな一れつハわが子なり
かハいゝぱいをもていれとも 8-60
一れつハみなめへ/\のむねのうち
ほこりいゝぱいつもりあるから 8-61
このほこりすきやかそふぢせん事に
月日いかほどをもふたるとて 8-62
月日よりこわきあふなきみちすじを
あんぢていれどもめへ/\しらすに 8-63
とのよふなたかいところとゆうたとて
月日のたあにみなわがこやで 8-64
それしらずをやのする事さしとめて
またとりはろてこれハいかゞぞ 8-65
月日にハいまゝでどんな事やとて
あらわれでたる事わなけれど 8-66
このたびハむねのうちよりすきやかに
はらさん事にあとのもよふを 8-67
このあとハとのよなものも一れつに
たすけたいとのしゆだんはかりを 8-68
このさきハたすけ一ぢよかゝりたら
どのよなものもいさむばかりや 8-69
なに事も月日一どふゆうた事
ちがいそふなる事わないぞや 8-70
いまゝてもあくどほともといてある
なれと心にわかりなから 8-71
しかときけをなじにんけんなるよふに
をもているのハこれハちがうで 8-72
どのよふな事をふしへてかゝるのも
もとなるをやてなくばいかんで 8-73
いまゝてもなにをふしへてきたるもの
みなこのどふりはじめかけたで 8-74
にんけんをはじめをやがもう一にん
どこにあるならたつねいてみよ 8-75
このよふならしらぬ事をばだん/\と
ゆうていれどもこれがまことや 8-76
にち/\にしらぬ事をやない事を
これをしへるが月日たのしみ 8-77
このよふのにんけんはじめをやなるに
天のあたゑハあるときけども 8-78
このはなしなにの事やら一寸しれん
月日ぢきもつやろとゆうのや 8-79
このはなしどふゆう事であろをなら
かんろふたいにひらばちをのせ 8-80
このさきハあゝちこゝちにみにさハり
月日ていりをするとをもゑよ 8-81
きたるならわがみさハりとひきやハせ
をなじ事ならはやくそふぢふ 8-82
そふぢしたところをあるきたちとまり
そのとこよりかんろふだいを 8-83
したるならそれよりつとめてをそろい
はやくかゝれよ心いさむで 8-84
こればかりどこたづねてもないほどに
これにいほんのしんのはしらや 8-85
これさいかたしかみへきた事ならば
とんなものでもをそるものなし 8-86
なにゆうもしんぢつなるのしよこふが
みゑん事にわあとのもよふを 8-87
とのよふな高いとこのものやとて
ぢうよしだいにはあなしするなり 8-88
(お筆先第八号 欠損筆先より)
このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん
この欠損したお筆先の意味するところは、
中山みきに降臨した元の神とは元の神々であったのだ。
つまり元の屋敷に降臨した神とは一神ではなく多神である。
天保九年十月二十六日夜 十柱の神出現 訳
御心にかのうて天にうけとられました。明治三十六年より六十六年前、天保九年十月二十六日、おやさま四十一歳の御時、旬刻限の到来によって、月日のやしろとなられました。
十月二十四日からはじまった寄加持のとき、大和中の祈祷者の名人であった長滝村の市兵衛を招いて、おやさまに御幣を持たせて祈祷せられました。
おやさまに神がかって、「家内の者はじめ親族残らず、一同この席に集まれ。」と仰せられました。
親類、家内集合したところ、親神様よりおやさまの口をもってお言葉があり、
「このみき女は並人でなく、天の月日より思わくありて月日天降った。口はみきなれど心は月日。この話なるはみな月日。この屋敷にいんねんありて、みきの魂は神の霊なり。このたび月日天降るも元のいんねん。このみき女、この屋敷へつれ帰った。この屋敷、みきの身体もろとも天に任せばこの世界いちれつたすけする。これにかれこれ断りを申すならば、家内はじめ親類の末々まで断絶に及ぶべし。なにほど祈祷祈願にても除くべき者にあらず。」
と仰せられました。
人々はこの言葉に迫り、やむをえず親類一同相談の上、それならばお任せ申します。と言いなされました。
親神様は、「しかれば今日より天に任せば、この屋敷、みき女とも天の者なり。月日の自由自在。天に任すかぎりは天の指図どおり従うべし。指図にそむく時は働き出来がたし。」と申されました。夫善兵衛様は「万事お任せして従います。」
とお答えになりました。
十月二十六日夜の十二時子の刻に、月日の神が天降りたもうて、はじめて天井にてあらあらしい音が聞えました。おやさま夫婦とも何事なるかと考えられましたが、何の音ともさとりつかぬ折柄、おやさまの身体へ「くにとこたちのみことなり。」と尊名を告げられ、つぎにかわって「をもたりのみことなり。」と告げられ、続いてあと六柱の神あわせて八社の神様、共同音にて尊名を告げられ、あとにいざなぎのみこと、いざなみのみこと二神は音をなくして御名だけ知らされ、この神様の十全の守護をもって天理王命ということを世界に現わす、ということを告げてお引きになりました。これより夫婦とも眼をさまして不思議を感じられました。
以下略