九頭神社と白山神社

 建御名方神を祭神とする布留川上流の川沿いに鎮座する現存の三社の九頭神社の内二社までもが白山神社を摂社としているのは何故だろうか。
 九頭・葛のイメージは縄文的と言うか、まつろわぬ人々の息吹を感じるのであるが、白山信仰は元をたどれば祖霊の坐す山とそこを水源とする河川への信仰として太古からのものではあろうが、布留川上流のこの地域ではまさに九頭神社の山と水への感謝の気持ちと同じものであろうし、わざわざ白山神社を勧請する必要は見あたらない。


 白山神社が勧請されてくるのは、古くても平安時代後期の修験道・仏教との関連と『日本の神々8』等には記載されている。
 石上神宮の神宮寺であった永久寺の鎮守四社の一社にも白山白山妙理権現として祀られているし、おそらくはその後裔社であろう白山神社が天理市杣之内庄町に鎮座している。

 布留川上流のいわば九頭地域に白山神社が鎮座しているのは、一つのヒントに過ぎないが、「九頭」との関連を示す逸話を紹介しておこう。

 

 白山を開いたとされる泰澄が、権現を感得したのは泰澄36才,奈良時代初頭の718年のこと。 この時には、白山比女神は,白山山上の翠池に現れ、はじめは九頭竜権現という九つの頭を持った竜の姿で現れる。泰澄がその竜の姿にさらに祈念を加えると,真の姿である十一面観音の姿になったという伝承がある。
 どうも布留川上流に住む人々の信仰対象である禍々しい印象の九頭龍神を、和らげるべく十一面観音として祭り変えてしまおいとする、朝廷や仏教側の考えが働いて、寺院の鎮守に白山権現を迎えたのではと、想像してしまう。

 

※もともとも縄文時代よりこの長滝村の地は竜蛇信仰のメッカではなかったと推測される。九頭=白山神社=蛇神、龍王=竜王神社=龍神

この二社を有している土地が長滝の郷である。

 

月日降臨の先導役であった中野市兵衛はこの縄文信仰を継承するこの地の出身であり、国常立尊を信仰する修験道の先達であることは見逃せない史実である。