一ツ 正月こゑのさづけハ
やれめづらしい
という理は、正月とはこの正月は月様が
正しい人間、正しい世界をお拵へ下され
と事を今に年の始まりを正月というて
いるなり。
鏡というは月日両神の御身の輝く事を鏡
というなり。それ故に物を写すものを
鏡という。餅の鏡は天地の理なり、夫婦
の理なり。心丸き理なり、丸きは正しき
理なり。しめ繩は七五三なり、この世の
七は天神七代の理なり。五は五倫五体
の理なり。三はさんで産み広める理なり。
また祝いをする時の重ね餅は人間に月日
入込で守護下さる理故、祝いをする三は
三日の祝いといふ。これは、水と火と風
との理なり。
食べる時豆腐は白き心で四方正面に誠
の心を柔らかに移す心なり。またかず
のこは、元、みい様九億九萬九千九百
九十九人の子数を胎に持ち下された理
なり。五日は五倫五体の理、六日は
年越しというは六台始まりの理、七日
七草節句というは天神七代の理、十一日
のかけそめというは大和國に人間産広め
に付日数の理、十四日年越しとは人間は
十五歳から大人になり、十五日は満月なり、
それで十四歳は子供の終りの事、月日も
十五日は満月。
小豆のお粥を炊いてよばれるのは月日の
心なり。お粥というのは元人間は泥海の
中より生れ上りた理で小豆の粥を炊くなり。
こゑの授けというのは心のこゑなり。
心通りの授けが出る、世界を思案して見よ、
物を盗めばそれだけの理がまわる。
嘘をいへば人の用いがないようになる理が
出る。如才にすれば用いのない理が出る。
善事なれば人より用いられる理が出る。
何事も善し悪し共、天の値を天より受ける
事、心通りの授けは遁ぬ事をこゑの授け
という。めづらしいというのは善悪は皆眼の
先につら/\と世界に現れることを
めづらしいというなり。
ニいニ につこりさづけもろたら
やれたのもしや
という理は、此のにつこりとは月日二柱の
心の効能の理に適う所をにつこりというなり。
三ニ さんざいこゝろをさため
という理は、人間はいつも散在心は陽気の
心なり。陽気心とは、足る事知るは陽気
の元なり。何程の物が沢山でも欲にきりが
なくば気がいつもづむものなり。
何程不自由でも身の借物を定めて、食う事と
着る事とさえあれば十分と心を定めば、
いつも心は陽気なるものなり。
その心定めてみれば、身の悩みは更に無し。
ほこりをつけて悩むのも、皆足るを知らぬ
故なり。
四ツ よのなか
という理は、世界は四方正面の鏡陽気の中に
住居する人間なれば、陽気の心で暮らすのは
親神のお定めの理なり、道なり、その親神の
理に適えば身の悩みはなし。作りするにも
不作なしといことを四ツ世の中という理なり。
五ツ りをふく
いう理は、人間は五倫五体というは五柱の
神の体をいうなり。
五柱の神の台を五倫五体をいうなり、五常の道
というのは火土金水とうのも地水火風空という
のも同理なり。心次第に身の内も世界も善悪
共に心通りが皆現れる事を理をふくという
なり。五常の道とは人間正直行いをいうなり。
六ツ むしよににでけまハす
という理は、人間は六台の借物。世界も六句の
世界なり。天地は六句の守護なれば、勝手心
で行道はなし。六句の守護なれば我が心も
六句にして借物の六體と六句の守護とこの
三ツの恩を忘れんように、人に隔てなき様に、
近道も慾、高慢なき様にすればどんな事でも
適わんという事はなし。この理をむしょうに
でけまわすというなり。
七ツ なにかにつくりとるなら
なにのなとは月様の事なり、なにのには
日様の事なり、月日は元の親なり。
この親様が無い人間無い世界を御造り
下された故、又、人間に堪能をさしたい
故、食物としての魚類一切に至るまで皆
人間の食物にお与え下されて、まだその他に
咲く花もわく虫も皆人間の為に元は御作り
下されて今に変わらず護下さる事なり。
人間もこの恩を忘れずして元初りの人の
心通りに、正しき心を離さねば親神様の
御育て下さるものを何かに作り取るなら
という事なり。
八ツ やまとハほふねんや
このやまというのは日本の事なり。
大きく言えば世界中の事なり、世界を
やまとという理は八方の神の事なり。
八方の神というのは八柱の神の事なり。
やまとというのは八柱の神の土地なり。
それ故にやまとという。
ほうねんというのは、善事をすれば
善事が殖える 。悪しき事をすれば
悪しき事殖える。よってこの善悪共
にこの理をほうねんやというなり。
九ツ こゝまでついてこい
という理は、九は急所の理にしてこの
理が急所なり。この理を心に定めて、
どうせこうせはいはん、皆銘々の心定
めてついて来いとのお話しを九ツここ
迄ついて来いというなり。
十ど とりめがさだまりた
という理は、悪しきは悪しきの道は
何重にもあり、その道は何程でも直
さずして、十分通り抜けたら、親我身
は愚か兄弟夫婦我子親類まで面汚して
十方へ名を弘める事を取りめという。
十柱の神様の御心に十分適うように心に
定れば、萬の事何適わんという事なし。
世界に十分誠の理光る事は当然なり。
親神の自由自在の理を受ける
事を、取めが定まりたというなり。