五道転輪王 十神の一柱
古代中国にも十王信仰=十柱の神の信仰が伝わっていた。
本尊に向かって右脇侍。本尊造立の際に影向した八大龍王のひとり、また春日明神としても信仰されております。
頭上に龍を頂き、唐冠を被った老貌で中国風の服を着ています。
正和五年(1316)に大仏師舜慶らによって造立されました。
明応四年(1494)、天文五年(1536)の火災を免れ、像内には多くの納入品が納められていました。
木造 像高1,018.0cm
重要文化財 室町時代 本堂
長谷寺のご本尊さまは、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ、いわゆる長谷寺式十一面観世音菩薩です。
開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきました。
現在の御尊像は、室町時代の天文七年(1538)に大仏師運宗らによって造立されました。
像高三丈三尺六寸(1018.0cm)。我が国で最も大きな木造の仏さまで、その堂々としたお姿には全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせます。
木造 総高178.1cm
重要文化財 室町時代 本堂
本尊に向かって左脇侍。初瀬山を守護する八大童子のひとり、また天照大神としても信仰されております。
頭髪を美豆良に結って冠飾を付け、裳を着し袍衣を纏っています。
天文六年(1537年)から七年にかけて大仏師運宗らによって本尊と共に造立され、像内には多くの納入品が納められていました。
両宝童子(赤精同童子)=天照皇大神、伊勢神宮内宮の御神体は童子(男子)であることを守りつたえてきた長谷寺僧侶。
天照皇大神=いざなぎの命=内宮=男子である。
十二支が図形が天井から突き出している。
面足命は頭は十二頭に分かれており、それが十二支それぞれに代わり替わり一頭ずつ守護している理を象徴している。
天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営したことから、今の本堂(今長谷寺)に対し本長谷寺と呼ばれている。朱鳥元年(686)、道明上人は天武天皇の御病気平癒のため『銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)』を鋳造し、本尊としてお祀りされた。
長谷寺を中心とした町がにぎわいを見せる。
長谷寺参にのための宿屋
中山みきは奈良、初瀬(長谷)の間には宿屋が立ち並ぶと予言されているが、奈良と初瀬は今でも旅館や宿屋が多い。