文政11年 1828年 31歳
隣家の子の黒疱瘡を神仏に祈願して助けられる。
4/8(5/12)姑きぬ出直
文政12年 1829年 32歳
天保元年 1830年 33歳
次女やす出直し(4歳)
天保2年 1831年 34歳
9/21(10/26)3女きみ(後のはる)出生。
天保3年 1832年 35歳
この頃善兵衞庄屋役を勤める。
天保4年 1833年 36歳
11/7(12/7)4女つね出生
12/28飯降伊蔵出生。
天保5年 1834年 37歳
天保6年 1835年 38歳
4女つね出直し(3歳)
天保7年 1836年 39歳
天保8年 1837年 40歳
2月 大阪町奉行所与力大塩平八郎朗は、天保の飢饉で町衆の救済を町奉行所に申し入れたが聞き入れられず、蔵書を売り払って窮民を救っていたが、この年大阪を兵を挙げた。このあと幕藩体制は急に崩壊していく。
10/26(11/23)秀司畑仕事中突然足痛、長滝村の修験者中野市兵衞に祈願依頼。
12/15(1/10)末子こかん出生。