天保9年 1838年 41歳
10/23 夜 四ツ刻(午後10時)秀司の足痛、善兵衞の眼痛、教祖の腰痛。夜明けをまち祈祷。教祖加持台となる。親神の顕現
10/26(12/12)教祖「月日のやしろ」に定まる。立教
天保10年 1839年 42歳
この前後数年、しばしば内倉にこもられたと伝えられる。
天保11年 1840年 43歳
この前後、「貧に落ち切れ」の神命により、嫁入りの荷物を手始めに家財などを施される。
2/18し(3/12)前川半七正信出直し(76歳)。
天保12年 1841年 44歳
をびやためしにかかられる。
この年、天保の改革始まる
天保13年 1842年 45歳
この年、アヘン戦争終わる。異国船打払令を撤回し、薪水給与令
この前後、家族、親族、善兵衞の役友達など教祖の行為を気の違いか憑きものと考えて、もとに戻るよう手をつくす。
また「この屋形取り払え」の神命がある。親神の御命に従い屋根の瓦をおろし、さらに家の高塀を取り払う。
ついに村人、役友達、親族不付合いとなる。
幾度が宮池・井戸へ身を投げようとされたと伝えられる。
天保14年 1843年 46歳
弘化元年 1844年 47歳
5/26(7/11)前川きぬ出直し(73歳)
弘化2年 1845年 48歳
弘化3年 1846年 49歳
弘化4年 1847年 50歳