身の内の理は身内御守護処に依りて明らか也。一日の理も一代の理も辰巳に当る時此時に起る事はは縁談色情金銭の間違いの理が起る。正道に関し続ぎを切った埃、即ち恨みの埃が現れる。此埃が作ってあれば此意見身の内に現れ、又此時に事情が起り或は苦しみ失敗死亡等。
一日に取れば五つ四つの刻限一代に取っては二十一才より三十才迄十年間は国狹槌尊前世に此道に大きな埃が有ったら此時に死んでしまう。(大抵は色情)又総て前世に因縁を作った刻限になると病が重くなる、或は其事情に迫る。戌亥も同じ理に取り悟る事、されど月読尊様には気の短い剛情、人を踏み倒す心立てべき処立てん腹立ちの埃、其性質に悟る。
一代に取れば五十一才より六十才迄。又六十才より上は元の一に戻る還暦。同じく未申に当る時現れる事人の害を成す風を吹かして有る言葉で人が倒して有る即ち憎みの埃が現れる三十六才より四十五才迄かしこねの尊様。丑寅大食天尊様も同じ理に取り悟る事然して丑寅は欲の埃、其性質、例えば人を憎む埃も身欲より起る如し。
皆此の如く天の理を知るなり神様の御心と人間心の埃とを悟りて諭す。諭しは裏から諭すか表から諭すか是れが見分けるによる是れが肝心なり。併して人に恨み腹立てさす様な者は我も恨み腹立ちの埃有る。一家でも内輪である心は外にもその心ある如し。(八方後守護八埃の項等書中参照)
水は底きに向かう底きに宿り静かな処に威が有る火は高きに向かうて空を思うにぎやかな処に懐かしき理が有る人間は片寄りてはいかぬ。空も下も思わにゃならん、なれど理は天が台天思うて下思うと云うでなくばならん、下思う故天思うというは元を知らぬ故なり。
如何に天に無理ありても下従わにゃならず下どれだけ苦しくとも天の為には勤めにゃならんは心に持つ理さればとて天は親無理と云う事は一つもない、下を思い下さる一條の外はない心の台と云う根というを天に置き天の思し召し一條に沿うて通らにゃならん一つの心に智は供物気も借り物心一つの理は皆同じ事(理気智水火風も同じ)なれども天の親神の御心入込み給うと云う心貸し給うと云うは心大きく底く太ると是れ心に心に心貸し下さるなり。
一代やない末代の理なれど旬によりて入込み給うなり俺と云う我と云う人間に有りてはならんめい/\の心から知恵退けたら如何暗闇に立った如く気退いたら如何心細り痩せたら我が心と云うても勇む事出来ようまい、いずんで何もかも出来やせん、心に悪理と云うて因縁心の理添うて来たらば如何又来るを待って是れはいかんと思いながら押さえられぬ様になる。
是れ第一聞分けめいめい心と云うて此の三つの理に支配される道聞分けねばならん。因縁心の理を切りて頂くは前々心あたり充分の懺悔と云う親様に凭れて七柱様の理で払うて下さる是れ因縁心の埃を払うという。迷わした理から迷わにゃならん欺した理からうろたえにゃならん万事成した理から案じが湧いてくる。狂わした理から狂う心出来てくる人から返して来ずともめい/\心に添うて湧いてくるという