八柱神及御心

仁は月様のより仁が出る、人を慈愛しむ。養い育てるという親心。

義はかしこねの尊から出る。云うた事を違えぬ約束を違えぬという心、合互に人に満足与える誠。

礼は月読尊から出る。君に忠親に孝をすると言う人を大切にする心即ち互い人を立てる心。

智は大食天尊から出る、是れは互いに知り合うと云うて我の知った事は人に教える互いに知りて行くという心。見分け聞き分け噛分ける心。

信は国狹槌尊より出る、互いに睦まじく続ぎ合う親しむという心。即ち人を続ぐ心。

 

水というも地地木火土金水水火風空と云うも仁義霊智信と云うも同じ五行の人道である。是は儒教から出て居る言葉で孔子に月日が入込んで教えられたのだが其の本が分らなんだのである。又四書(大学論語孟子中庸)五経(易経書経詩経霊記春秋)等も同じ訳である。

 

かしこねの尊は義の神様、交際義理の道も同じ、此神様から義という事は出て居る。総て皆月日二神より出る徳なれど義は月日よりかしこねの尊に御任せ有る也併し之は余り偏ると偏屈になる。いはゆる仁過ぐれば弱となり義過ぐれぼ偏屈の例え。以下霊智信同じ。皆裏表にて八柱神の心(書中参照)

 

又なむあみだぶつの意味を人間及び一家に取れば、なは国常立尊の理で夫、亭主よりなと云い出し云い付ける理。むは面足尊の理で妻、夫の仰せに従いんと答え飲み込み受ける理父母と云うは天地夫婦なり。なむと云うも同じ事天地日月同じ事地と天とは実の親なり。(水気潤い温みも同じ)

 

あは国狹槌尊の理で女一の道具の神様なり。又亭主の働き得る続ぎ物を待って妻子があと口をあけ開く理。(皮続ぎも同じ)みは月読尊の理で男一の道具の神様なり。又物実を与えみを入れみを立て養う理。(辛骨突っ張りも同じ)だは雲読尊の理で人間を胎内に宿し込み下さる時の理。又両便を打と通じ下さる理。(呑み食い出入り水気昇降も同じ)ぶはかしこねの尊の理で、ぶつくと懐胎する理。又日々ぶう/\と息をする理。(言葉風吹き分けも同じ)つは大食天尊の理とを胎内肉縁を、つと切り下さる理、又死する時息を切り玉う理、(切り分けも同じ)うは大戸邊尊の理で胎内より引き出し下さる理、又うんよくうと生れ出る理。(導き引き伸ばしも同じ)

 

元々泥海中に月日居たばかりで御互い心と心の陽気見合うて通るより多く子供拵えて陽気を見よう楽しみと云う理を始めようと思し召され人間を始め陽気の物を拵え陽気暮らしの理を見て楽しもうという思いつき、なんと世界を始めかけたら、日様に御心示し給う御相談という、なと云えば無と云う、むハ睦まじいともいう是は互い互いの心の誠を通うと云う又向かうが此方を思う思いと思いと一つに成りた理好きも嫌いも楽しみも一つとし給い目的を一つとし給うた理である依存不足の無い処。

 

はい結構と人間に例えば恋人に呼ばれて答えるようの理は末代生涯変らぬ理となりて始め給うた是が世の元、又人間の思いと違う違う筈や世界は神の物皆自由にならん物は一つもない無理すれば一時どんな模様にも変えられんではないけれど親という子と云うどうもならん理。

 

可愛い一條であるどうしてなり共こうしてなり共踏ん張ってやりたい及ぶ限りは出来る限りというは是れ有難き親の理御心そこで道も年限遅れたと云うも皆心とんと揃わんからやなれど是一時揃えられん事はないが成るべくなら日を延ばしてなり共一人でも多く一つでも苦しみせつなみ見せん様と云うは真の御心どうせ通らにゃならんなれど一時に迫れば皆々苦しむどうもならんから遅れて来たのや。