八色之意味

  八方の神様の色で、万物が染まるなり。青は大海晴天の色、青いと云うは皆、世界万物身の内の悉く月様の理、赤は明か、赤い火照光一切いと云うは、皆日様の理、陰陽御夫婦の理也。緑は国狹槌尊、木の葉とか、竹とか緑一切、黒は皆大食天尊、例えば鳥でも烏とか九官鳥の如く天然物で黒きものは勿論、白いと云うは一切かしこねの尊白は風。水青く風白くと云うて風で皆物が白くなるなり。

 

 彼の雪の如し、雪は六花と云うてかしこね様の理、言葉を白す申すと書く、雲読様は水色、萌黄も同じ萌え出ずる色芽出し。草一切の色、浅黄とも同じ。万ず草気粒毛、春は萌黄、浅緑が緑となり、緑が秋になれば黄となり、柑色となる如く皆夫婦の理。黄は一切大戸邊尊、柑色は月読尊、秋の神様なり。黄が濃くなって、柑即ち黄に赤合すれば柑となる。水気が去る干るに従って黄柑赤と色変わる。

 

 又紫は青六分赤四分が真正の紫、月日和合の色にて色の王と云う、緑は青と黄の合色宇宙万物の色合いは八色及び混合して皆濃淡彩色せられて有る、又白は風無色とも云う故所謂太陽の七色と云うが如し。真の原色は青、黄、赤、白、黒、五色なれど陰陽合体八方の神様の理にて、八色に分かる。人体世界万物は八色により同じく合色により各々其神様の理を知る。

 

 例えば人体頭は青地と云うて水月様、冬髪の黒色は大食天様、顔は夏、赤と白、赤味なき真白く青い如きは薄情の相と云うは日様の色がないから火気、誠を失うた埃有る色、色黒いは欲が深い、細かく行けば顔でも八色が現れる、皆其心使いが現れる也、但し心が澄まねば明細の事は見分らぬ、身体或は病でも、又総ての物、白い物が黒くなるとか、赤い物が青くなるとか、本食を失うて色々濃淡変色すれば其理を知る也。

 

 総て天理は宇宙全体全般に渉る事故、一々是を縦横細密に説明せんとすれば、到底筆紙にては其真味を会得し難く、尽くせぬもの又神様の御言葉は一を聴いて十を悟る十のものを十聞かねば分らんようでは天理は容易に分らん故、神様は皆悟りばかり諭しの御言葉下さるは深き思し召しの有る処にして、我々の力を付けて下さるものなり。心を練らし磨かせて下さるは魂に末代の徳を授けるが為なり、心の成人次第に皆分るなり。

 

 又人間の眼には鮮やかに見えねども、一昼夜でも神様の刻限によりて、世界の色変わると仰せられる、子の刻は青、丑寅の刻は一昼夜で最も暗黒の時、卯の刻明け六つ明け方水色、辰巳刻緑、午刻赤明らか、未申の刻白、そよ/\と風起こりて一昼夜で最も明白の時、白昼、酉の刻暮六つ日西に傾く頃黄、戌亥刻柑、黒夜と云うは丑寅の刻白昼と云うは未申の刻、一年にて寒暑と同じ、あやというは黒白の事なり、即ち夜昼にて丑寅大食天尊、未申かしこねの尊なり、一日も一年も一代も同一に御守護下さるなり。

 

 万物の青いと云うは水という理にて月様の御心苦労と云う理なり、宇宙海川の青く、山野青々として繁茂する森羅万象は皆水より現れ、苦労と云う理が栄えて居る也、月様元々無き人間、無き世界御造化下さる御苦労の理、月様辛味に苦味が合うて潮となる、塩は味の王、四季四方四王、人間も苦労と云う理が最も尊き事なり、苦労と云う理が有って万事栄え成立つ。