○親指 は大抵肉血の親。親方主人に対する理は大抵高指に来たる。
○高々指 伯父伯母又は之に相等する位な恩人主人身上この指は食物の事に付現れる事も有るそこは其の場合の見分けによる。(皆其の神様の守護と埃より見分けする事)
○人差指 は友人右は金銭に係る。又夫婦間及び縁談、色情。(恨み、腹立ちの事情)
○紅差指 は兄弟争い或いは他人に親切を以って云うた事を左程其の通りに取らん故己れが不足腹立ちする如く大抵は兄弟位なる所親切を以って世話する関係ある位なる所故因縁ある所に相違なし。
○子指 子無き者は親に関する軽き事が来る子供召使いとか我子同様にする位なる可愛いがる目下の者も此の指なり。子指はこおや指と云うて子で有って親に諭す指なり此の指はいざなぎいざなみの尊様故なり。以上は大略なれば皆神の御心と守護所より悟れば鮮やか明らか也。
指先は口先に係る指爪は仕事一条の事と二ツ。
○胆臓 月様の御心に合わぬ埃、正直情け心無き心の狭小なる胆(きも)の小さいと言う物事に掛かりて心配する。足納(たんのう)心なき不足欲しいの埃勇む心なし恩人の恩を知らぬ欲人を痛める。
○心臓 日様の御心に合わぬ埃慈悲心のなき心小さい気の小さい心丈夫になし先案じ心きたなき心落ちつかず安まらぬ惜しみの埃安心の心なし恩人の恩を知らぬ欲人の心を痛める。
○肝臓 大食天尊の御心に合わぬ埃欲の深い思い切り悪しく誠無き故堪忍の心無く不足の疳強く気小さく僅かな事にも腹立物事を苦にする喜び楽しむ心なき柔しき心なき欲の埃。
○肺臓 惶根尊の御心に合わぬ埃内心に真実の無き薄情足納心堪忍心なく不足欲深く人を憎む埃誠の心無き故に喜ぶ心人を喜ばすという睦く(ろっく)の心なし。
○腎臓 月読尊国狭土尊の御心に合わぬ埃、理を立て人道を立てる人を繋ぐ心無く気随我がまま色情間違いにて人に迷惑人に恨みを受けるか、親に心配掛けるか、色情はなぎなみ二尊の御守護の所親不幸其の埃に迫りて嬉しく通れぬ、互いに配偶者を不足にする等、嬉しい心なし。(腎とは月読尊様の名である身の辛なり胸腹背の三ツ要の所にあり)
○脾臓 雲読尊の御心より諭す是れに合わぬ埃我身可愛い身びいき身勝手、分け隔て、我身に付ける心の強い埃。脾は胃のじょうごを言う同じ理なり。
○大腸 同じく雲読尊の御心より諭す、是れに合わぬ埃。例えば取込む事取込んで出さぬふんべつばかりする心(大便道)。
○小腸 同じく雲読尊より諭す。例えば口先できれいに出す様、誠らしく云うて出さぬ心(小便道)。
○十二指腸 同じく雲読尊より諭す。身びいき身勝手なる心例えて申せば、我身は平素朝寝しながら人を使う時には朝早くより起きて人を使うと云うが如く、全て斯様な心の理。(十二指腸と云うは十二支の理一日一年の理日々を養い下さる理なり)
○膀胱 同じく雲読尊より諭す。内心に真実の無き心短気気まま勝手の性質なるが、恥を知りて表面を装う。又親舅姑目上等人をはばかりて心に包み居る心(腸は細かく理を分ければ金銭縁談等続ぎに関して親恩人目上目下の続ぎ一条にも係る是れは腹は国狭土尊様も御守護なる故なりされど台は雲読尊様に反する我身可愛いが台故是れより悟り諭すなり。)
○肋 大恩のある所不足恨み表の肋(あばら)は云おうかどうしようと思案する理肋骨左十二枚右十二枚一年の理肋の膜が肋膜。
○胸 恩人親に係るむねと云う根なり。六ツの根心の合わぬ反対すれ合い不足恨み言葉なり息風の不足惶根尊の御意見。八方八方又四季の理には取れぬ惶根尊というは世界陸地に説く時なり世界にては胸が陸地、腹が大海又我云う事の立たぬより胸苦しむ如し。
○鳩尾 (水落ち)親及び恩人不足の理と心配し過ぎる理とある二通り思案に落ちん事ある理全て見聞きする万事心の落ちつかぬ理。
○腋 物事心に隠す理。又我身に抱く心表に立たぬ仕事欲しいの欲(例えばいわゆる袖の下を取るが如し)月様の理(昼でも暗き所にて夜の理)
○乳 夫婦間の理夫不足(又色情の理も係る)又親不足
○項 高慢から親及び恩人又目上を見下げる理項は大戸辺様の一番頭であるという理。
○首 大切な所大切になすべき人を大切にせぬ心、両親又は恩人に係る女房なれば夫に係る前後左右に依り理分け首は上下の続ぎの一番大切なる所なり。
○咽喉 食物のみならず万事を飲込む所人の云う事飲込んで身心養い肉となる理故人の云う事飲込めぬ心食道は雲読様故我身可愛いから出る埃気管の方は惶根様六くに風を吹かさぬが台なり皆親に係る食物は命の親音声は親様の恵み首と云うははじめと云う字皆親又食物に対する埃もあり。
○肩 両親。主人親方にも取る。
○脇腹 万事包む理例えば云うてはわるいし云わねば得心出来ぬし不足を積む理又我身を抱く欲左は目上が男、右は目上の女が母親か妻大抵は目上なり。(大切な所故)
○背 引出引き与え一切に係る事(日々渡世する家業働き)外郡の事情と云う事に治まる是れが大戸辺様背は秋働きの理故月読尊様も御添い下さる。親恩人恩ある所とは主人目上親又親に代わっての人が恩人也恩を受けて恩を知らぬ恩を仇にする埃(不足の事)恩を報はん恩の着だおれと云う背は女であれば夫夫婦に成らん以前なれば父親に当る。
○ 腰 重き病は前世、縁談の道で立てべき所を立てざりし埃、前世に其の種を蒔いて有る其の如く親恩人の言う事も立てん己の思惑を立てきる性質同じく軽きは今世今世は色情の間違い。皆是れが台である故それから如何なる埃も出来て来るなり。
○ 腰は月読様の一番の辛人体立つ骨の要建て家なれば土台と同じく是れから柱が立ち木なれば幹之れから枝が栄える如し。月読尊には必ず国狭土尊が御添い下さる立てる続ぐ裏表一体諭しも裏表より見分けて諭す。例えば腰左右痛み方に依っては縁談無理切り等の理もあり。
○腹 飲食い一切に係る事(内々の暮らし方日々生活する事)内々の事情と云う事に治まる是れが雲読尊様。腹の春養いの理故国狭土尊様も御添い下さる(細かく云えば腹袋の仕分けの理は大食天様)天の冥加を心得ず又知らず食物不足食物粗末。内々の治まらぬ又我心の定まらぬいわゆる腹がきまらぬ理より腹の具合悪しき理もあり全て身びいき身欲から人を養う続ぐ心のなき我身に付ける人に慈悲のなき埃。人間に取れば恩人の恩を知らぬ母親女性に当る埃多し。
○臍(へそ) 臍は産みの親なり雲読尊の辛。養いの元の理なり親不足女の方に係る又心の辛が定まらん据わらん理も有り。
○一の道具 色情の間違い。又親不孝。色情の道気随気まま我身可愛い恨み腹立ちの埃等。
○臀 人を尻に敷く理と我身が動くべき所を人を使う理とある例えば身分が上の者なれば己の動くべき事を人を使って迫る理と身分の下の者なれば人に云われて又幾度も催促せられていや/\に動く理不足/\で成すのと其の辺は身分の上下で裏表となる事(何れも我の身惜しみの埃いわゆる尻の重い理神様の御守護は面足様)皆理の台から見分けが肝要なり(又尻は財産と云う理もあり)
○穴 口の裏門にて大便の出る所故雲読尊の御心から諭す又痔一切に係る理。
○会陰 一の道具とけつ穴の間を会陰(ありのとわたり)と云う金銭縁談の理。不足腹立続ぎを切る理。
○亀尾 此の所は国狭土尊の理にして続ぎに係る理。(人間も元々獣類をくぐって来た其の時代には尾のあった所にて尾が切れて起きる立つ様になりしものと仰せられたり。)
○頭 は冬の理故月様大食天様二神の理。
○顔 は夏の理故日様惶根様二神の理。
○腹 は春の理故雲読様国狭土二神の理。
○背 は秋の理故大戸辺様月読様二神の理。是れは身の内四季の理にして此の頭に付くものが目と耳。顔に付くものが鼻口。腹に付くものが臍(ほぞ)一の道具。背に付くものが手と足合わせて十二、十二月一年の理。之れが八方(やかた)の理身の内八方と所に現れる理は人間が使い間違いの理が出る四季の所に現れる理は重い理が出る。
○頭顔皆親様故大恩に当る頭一面月様人間にては父親顔一面日様人間にては母親なり故に頭にきずがあるとか頭を患うとか怪我をするとか或いは頭をくらわされたとか皆親不孝の埃同じく顔に来るのも親不孝同じ顔は多く母親頭顔は一番大切な所なるが故なり。
○ 頭で左なれば父親で顔で右なれば母親にきまって居るなれど頭で右なれば父と同じ理が母にも係る両親になる事。顔も左によれば父に係る事両親なり。同じく顔でも左の高い所なれは父に掛かる事あり頭も右の低い所は母の理もある。
○ 頭顔は皆親に限るなり大天は天小天は頭。又付け根とか元とか云う
所は皆親手首二ッ足首二ッ上の首合わせて五ッ皆親に当る。首と名の付く所は皆々親に限るが、もし親に永年離れたる者は親に代わりての人に当る事あり。足は運ぶ親手は仕事の親上の首は万の親恩人運ぶ親とは運ばねば会えん理故足に来る運ばねば会えん親とは親方主人嫁の親とか昔で云えば禄を頂く主人と同じ道の親でも同じ仕事の親は師匠仕事に付きての親方とか云う意味なり。
○首一切は皆親様手首なら仕事に親と合わん右なれば母親左なれば父親足首なれば運ぶ事に付きて親に反対とか運ぶ親にも当り皆親○親なれど事柄が違う。
○ 親と云うものは身の親は勿論第一なるが主君恩人も道を教えて育てるも親又親方にも当る事有りしかして所に依りては産みの親に限る所もあれば例えば十年以前の埃種現れたるとするに実親は二年前に死亡せる時は兄親姉親とが全て親代わりの恩人に当たる故皆実地の判定が必要なり。
○ 足は月読尊一神より他なし手は大戸辺尊一神に限る。
○足は立つ事と立てる事と運ぶ事。即ち縁談色情金銭と運ぶ事と現れる(例えば縁談の道も道歩むも道金銭もおあしと云うが如し。)
○ 手は全て仕事に係る。成す事する事をせぬとか手間、手伝い、手ゴ、手助け、手入れ、手がある無いとか手は救う道具。身びいき高慢で人に与えるべきを与えんとか人を押え我身に抱える(色情なれば手を掛けるとか)
○足と言うのが月読尊様である。手と言うたら大戸辺尊様であるなり。例えば手で右であったなれば仕事の事を付きて母とか姉とか全て女に当る右は雲読様故御夫婦の理。足でも月読様であるが右になれば国狭土様故女に対しての理或いは立てべき事を立てず又踏み付けるとか運ぶべき所を運ばず腹立てさすとか色情の恨み腹立とか言う様な順序になる。
○足は竪は一切運ぶ事の一点裏は一切人を踏み付ける理足先は口先で人を押える理踏み付けるも同じ前の方は向こう脛とも言う如く向う行きの強い理足は親恩人目上に係る場合が多い。
○腿は夫婦と言う名なり股も同じ事股は女一の道具と同一の理世界の桃は国狭土様の理にて同じ理。
○脛の痛みは何か不足な事があって運ぶべき所へ運ばざる理すねると言う理が心の不足面白くない事があって何か不足して居るすねると言う心は目上に対する心なり。
○腨も心に不足あって面白くない所から運ぶべき所へ運ばざる表面はよき顔して心に包み居る気長く見えて内心に気短い。
○胕は我身のした事を恩に着せ過ぎる。我が運んだ功が表に表れぬのを不足する如し
○踝は車で例えば辛口先で上手本当らしく言う気ままで運んで居て人には用事がある様に嘘言うが如し。(跗の高き所は山低き部分は田地)
○踵 は行きて帰るべき所でない帰ってならん所を帰ろう/\とする例えば嫁などは帰るべきものではないと同じ事入り夫でも嫁でも是れは裏表に来る事あり例えば養子でも出そう/\した理の来る事も有り。
○蹠(あしうら)は人を踏付ける埃で又恩人目上でも踏まれぬ人を踏む。
○足首は多くの場合が運ぶ方の親に係る大体は産みの親に非ずしかし実親の運べと仰せをそむく我身勝手も此処に来る事皆実地の見分けによる。
○趾に出る理は口先で人を押えつける理も踏みつけるものも同じ事なり。
○湧泉と言うは何は踏んでも親だけは踏んでならんと言う理にて土踏まずと言うて三分の一だけは踏まぬ理にして有る土は月様大恩誠踏まず親踏まずの理なり故に湧泉の無き者は前世に親又恩人に対する此の理有り。足の裏は踵、湧泉、蹠、趾の四つにて月読様の理又全部にて十二有って戌亥月読尊立つ理。足とか手とか腹とか背とか言うたらあたかも国の名の如きものなり其の国の中に郡や村のある如し。
胴は頭の裏目(胴、潤い)水気と同じ理にて、戊己、土の理、
臀は顔の裏暖み(人肌)温熱と同じ理にて、丙丁、火の理。
髪足男一の道具は骨突っ張りと同じ理にて、甲乙(きのえきのと)、木の理
男の髯睾女の鬢陰門皮繋ぎと同じ理にて、庚辛(かのえかのと)、金の理。
口と腹は(水気昇降)飲食出入と同じ理にて任癸(みづのえみづのと)水の理。
男の胴臀は天にて、戊丙(つちのえひのえ)男の腹は、任にて雲の理。
女の胴臀は地にて、己丁(つちのとひのと)、女の腹は、癸にて海の理。
男は天女は地五倫は天の理五体は地の理天地は夫婦の理なり陰陽男女の理なり。
男の腹は雲と同じ理なり色情四季情の気催すは雲出でゝ雨の降ると同じ、任也水也恥也魂魄を含む種なり。世界にては空中雲より海中に種降りて生動物生すると同じ女の腹は海と同じ理なり故に子供腹に宿る懐胎と言う。
甲より辛に移りて癸なり子宮に宿りてかいたいと言う癸は海。懐胎の腹は大海の理男一の道具女両足甲乙男臀女臀丙丁男胴女胴戊己男睾
女陰門庚辛男腹女腹り皆春の季至り色気と共に生ずる理両脇の毛は世界に取りては男けやきの理女桐の理男女の陰毛は煮炊きに使用する柴雑木の理眉毛は樫の理睫は楓の理鬢は女。男なれば鬢とは言わぬ
○ 足は色情の道具故裏表つきよみの尊男一の道具も同じ。
色情の時は足二本一の道具一本合わせて三本(三木)幹の理甲乙世界の用材にては松、杉、桧の理。
○ 色情の理は七八分通り足に現れる目と足に来る。
躄も跛も、盲目片目その他数多その他の場所にも現れるが全て人に見せて恥ずかしき身上は皆色情欲の間違いなり(不具一切)
○身の立つも腰足一の道具の立つも腰にて腰は月読尊骨の龍頭なり要なり故に腰と云う字は月に要と書く如く西は月読尊、大戸辺尊、女は国狭土尊夫婦が要なり、全身の堅い理は月読様柔らかい理は国狭土尊夫婦腎とは辛と云うも同じ堅いと云う理。
月は月日様月日が使い給う。身体の名称に付く(月)編は(ニクヅキ)と云う月日と云う事なり肉二九夜九ッ昼九ッ。
○身体は神様で有る神様の物で有ると言う事をしっかり知りて身の内に有るものは世界に有る世界に有るものは身の内に有ると知りて万の事世界に取っては是れ人間の身体に取っては是れと皆々一ッ/\順々と心に治めてしもうたら諭し位平らな容易なものはない是れが天の理を知ったので有る。
なれど一時に何もかも一緒に諭しも身の内も交々ではこじゃ/\になって何にも明らかに分からんから諭しが出来ぬ一々順々と心に治めて行く事が肝要なり。
○此の章は只神様の身の内の御守護所を明らかにするを主眼とせるものならば病恨諭し方の方面は大略にして極簡単故委細を悟りて諭しに応用するには本書全体を一貫してそれより深く其の理を悟りて是れを八法八社様の御心魂にまとめてしかして初めて応用出来るものと信ずる訳であります。
○是れより以下は付録として身上悩みの御諭しの事に就いて要点を述べたいのでありますが身体は死しても生まれ出る故病気は理の軽きものなれど魂が落ちて行くのが重い事ゆえ霊救と云う事が偉大なる助けである也。例えば牛馬界に落ちては心立替徳積む事出来ぬ如し。
○ 神様は物を云うて諭し下さる事出来ん身上に知らせ下さるだけなれば之れを諭す者が神の道具偉大なる功能あるものにて例えば一人の命を助けるのは何程の価格とも分からん理で有る。依って我が身の悪因縁が切って貰えるのである故に何でも人を助けねば我の魂が神の世に出れぬ。
又助けるにはそれだけの助けるいわゆる技術を学ばねばならん助ける事が出来ん依って真理を学ぶ必要あり。神は無理な願いはしてくれな無闇に願っても助からぬ。
神様は病の元は心から難儀するのも心から皆如何なる事も心一ツより無いと仰せられたるが、其の心は八ツの心使いより八ツの埃を生ずるなれど八埃千筋有ると仰せられたる通り、皆人間は各々顔の異なる如く心も多少の異なりあれば、其の人/\に諭す所人の心を直して天の定規に合わして行くには、我が心を磨きて自分の心が明らかに成らん事には人様の心の中が見えぬ。
鏡に物が写ると同じ事、我が心の掃除が出来て心が澄まぬ事には霊救という真に人間の助かる所の明らかな事は分からぬのが天の理にして人の心の中が見分けが出来ん間は皆修養中故、如何なる人にも満足を与え人の心を直して行くと云う人の心中を見抜き先が見えて導き教え助けるその人/\のキチットしたる細密な御諭は神様の御心に分通せざれば分からぬ。
其の我心を掃除するには此の度、月日様の思召しにて御教祖は五十年間御苦労天啓に依って御教え下されたる天の理を深く聞かせて頂きて其の雛形に依って実践窮行を以って、助け一条に苦労の道を踏み、心の掃除が出来ねば何時迄経っても分からん。
汚水に物を入れる如く探らねば分からん。心の掃除が出来たらば皆見分けがつくと仰せ下さる。我が心が天理にはまれば神の自由用自在の神徳を授け給う。心に神が宿り下さる不思議な助けが現るれば人は皆信仰をする。
御教祖の御苦労の理を幾分なりとも踏む理に依って、明らかなる御教祖の御諭しが胸に治まる。欲が有るなら止めてくれ神の受取り出来んからと仰せられる通り、自分の汚い小さな我田に水を引く様な心でどうして天理と云う様な綺麗な大きなものが入れられるかと仰せられた。
幽冥の故を知ると言う、無形なる人の心を見るという。凡人の見えぬ事を見分けるのは無形の心の掃除心に力が入り、陰徳を積む、見えぬ所に徳を積む。人間上の見えた所のつやを作り花を見たい心とは、例えば人に礼云はそう、それだけ光を出そうと思う心から人の前を飾る如く、神様に受け取って貰うのであれば、人間の目に掛けなくてもよいと同じ。見えた物は我が物でない、見えんものが我の理と仰せ下さる。
たとえ如何なる御方でも、先生でも、人間が徳を授ける事は出来んもの故、只、神様から頂くのである。神様より他には無いもの故、神様にさえ受取って貰えばよい(或いは金の大小物の多少には依らん、只心一ッ真実を受取って貰う)人間がどうした所が人間が守護する事は出来んのであるから。神様の御道は心一つの道。心に力が入り、心が神様に繋がるで至妙の域に到達する妙は神で有る。
例えば昔の武芸にしても師匠より極意皆伝の上我の苦労の理を積んで妙を体得した如し、同じ病でも人々に依って心の間違いの出所が違う如く、是れが見分けの必要で、一ッの病でも八通りに見分け説く。其の人/\に当って、八通りに割るのが見分けで有ると仰せられ、八通りの見分けが出来ねば、真の神の道具には使えぬとまで御教祖より仰せられた。
例えば色情の間違いでも足に来る者と、目に来る者と、腎臓に来る者、一の道具に来る者、子宮に来る者、腰に来る者もあり。又背骨とか、顔鼻手其の他に現れる如く、其の人/\の性質(即ち前世以来の因縁)の異なるに依って、違う物をかすめる非道の欲しい性の者は目に来る。人を立てぬ性、我意を立て抜く短気の者は足に来るが如く皆性質にて相違を生じ、同じ立てぬのでも人を見下げる高慢の性から立てぬ人と、色に溺れて立てぬ人と強欲にて立てぬ人も色々有るが如し。
同じ一ッの病でも或いはその原因を異にするとか、徴候を異にするとか或いは先天性後天性の別もあり。体内一ヶ所でも病気の種類数多くありて或いは腫れ物が生ずるとか、怪我とか一種の悩みでも軽重大小あり。又二ッも三ッも併発して一緒に来る事等有り、其の人に当って表より諭すべき者と裏より諭すべき者と有如く、皆一定に行かない。一手に諭せるものでなく、是れが一定に行くものなれば活版刷りにして如何なる事も明細にキチット分る様な訳だが、神様の事はそうは行かぬ。
是れを一々筆に記す如きは複雑にしてとても書き尽くせる訳のものでなく、又神様の御守護も病気も怪我も過失も不事災難等何もかも一緒ではお互いに理の研究に供せんとする事が複雑に成って、却って其の理の本を了解して握る事がなし難くなるに依り、簡単な所から順々と理の台から悟りて段々細密に渡る様。
皆実地その場合に当り、人々に依りて判定するものなれば文書に記せぬ御互いに教はるに教えれぬ、云うに云えぬ所の有るもので、皆悟りてある故、以下病の諭しを記載せるものは大体の本の理から簡単に一例を筆記して御研究の参考に供するものなれば其の意味其の理と云うものを悟りて応用に供したい次第であります。
それに数々同じ様な事柄を重ねて並べて書入れしましたるは別に耳新しい事では決してない。従来御互い様に皆様が使って居らるる有り触れた事で有りますが、これも其の部に加えて参考とするもので御諭し方は各人々にて心の使い方と同じく一様に行かないため、其の或る一部分の一例を引きて参考の資に供したい為なれば、実地に当りて悟りの上から是れを取捨して応用を願う。
しかして草木でも種は細かいもので又枝先に稔る如く、細かい所に有るものなれば細かい所迄説いて行かねば多く人が満足出来難いもの故、十分の熱心に依って研究を進めて行く事が必要と存じます。
例えば庭園の塵芥を掃除なしても微細な物に注意して掃除すれば大きなゴミは独り取れると同じく、人間の心も細かい埃が取れたら、大きな埃は取れるが、大きな事を思い云うて居て、小さい垢がとれぬ故、心の掃除が出来ぬ故、見分けが付かんと仰せ下さる。
例えば人間日々の心事、行為、其の人の性質の悪癖欠点些細の事が其の人の価値を落とすが如し。御諭しは台さえ腹に入って居たら、段々細かい事が分かって来る。天の理の根元の台さえ深く悟りて、心に治めてさえあれば心の磨けるに応じて明るくなる。根の根のひげのひげと云う事を仰せられたり。
例えば其の病人に応接、又其の家に行きて見れば心に悟れる。真に人を助けよと思う真実誠なれば神に通じ、神様の御守護で皆分かるものなり。当人云う事、なす事、周囲一家の状態に皆病根が現れている。 ことに当人の言語動作に現れる神の守護にて云わせ給う故、教師の勉強となる。諺に教えるは学ぶがなかばと云うが如し。
悟りは見分け聞分け考える。其の人の性質其の身分何々如何なる理の間違いの種より起こるという如何なる行いがして有ると言う事を我胸の内に十分悟る理。其の人/\に依りて現れる状態と其の場合と其の人の云う事する事で天の理から悟る。
諭しは其の性質、其の身分を知り、如何様にしたら此の人は助かるか、懺悔に成るかと云う所から、其の人の感心と得心の出来得る様懺悔改良の出来得る様に分かり易く話すを言う。悟り、目耳鼻三ッ裏の理諭し、目耳鼻口四ッ表の理となる。
如何なる立派な話しをしても当人が如何にもと感ずる心が出来ねば懺悔をせぬ故、御利益が頂けぬが天理。但し取次人の誠実力次第に依って、一時の御守護は下さるなり。依って如何なる者も感化して神を信ずるに至る。取次人の徳に依って授け下さる場合あり。
此の度の御道は、何を云うても人間に神徳を授けるが為の教えなれば、実践躬行陰徳を積んでを磨き、心に神様宿って頂き、神意の発現に依って其の徳に人が感化する。只御話を取次だけでは人心を感化する徳が出来ぬば実際の力ではない。
又、我心に悟る理と人に諭す理とを分けて、其の人の病恨を我心に十分悟りて、それより其の人の助かる様、心の作れる様、其の人の長所は褒め、理を説いて導く心を直して行くのが教師の器量であって、只病理を其のままポン/\と剥き出しに云うては、其の真の意味が当人に分からぬ時は却って心の作れぬ者が多い、人の欠点を突く様な事に当たる。寛仁大度の親心がなくてはならぬ。
○兎に角御諭しの眼目は、親神様の大恩を充分得心の出来得る迄仕込むのが御諭しの肝心也。全て身の内は、背でも腹でも手も足も指も総体、何処でも、上の方は目上、中は同輩、下の方は目下。皆々三段に諭す也。
何でも一切左は男、右は女に取る事。但し左は男と云うて目上に諭す事あり。右は女と云うても目下に諭す事あり。又左は先々の心使いの理、右は過去前々是迄の心使い、心迷いの理に諭す事有。皆見分けに依る(例えば左は主人、右は御供と云うが如し)。男は左が我身、女は右が我身で有る。我心から引出した埃も有り、先々心使いは多く先案じ。
○ 目でも口でも全身何処も上下左右が有る。上は目上、下は目下に取り、又何処も内側外側表面と内面と或いは衣服を着て居る如くで、何時も見えて有る所と見えぬ所と有り。例えば家族内輪で為す心事行為と、他の人に対する理と表向きに云うとか為す事と、秘密に成す事、陰で隠して為すとか云う事等、同じ不足でも口外に出した不足と、云わず含む不足の如きで皆外部に現れるのと内部に現れる等。
左に現れる悩み、右に出来る悩み。左から起って右に来る事も有れば、右から発して左に及ぶ事有り。上から初まり下に移る事も、下から起って上に及ぶ事も、内から起って外面に現れる事も、外面から内面に及ぶ事等、皆病でも初まりの起る所と、影響する所と現れ来る徴候の状態。云わねば人に分らん悩みと表に出来分る悩みとあり。
例えば、心の内に人知れぬ埃を積むのと、表に出してやかましく云うて積む埃とある如く。或いは男から始めて女に関係する事情とか、女から起りて男に及ぼし関係する埃とか、親から埃を立てて子に係るとか、目下から起った事情とか隠して行った事が表に現れ多数の人に及ぶとか。
○子供十五才迄は親の理なり。男子は父親六分母親四分の懺悔。女子は母親六分父親四分の理。男児にて右や、女児にて左に現れる時は両親に係るが、左なれば父親の理、又男一切に関係する。右なれば母親の理又女一切に関係する。
小児三歳迄は男女共母親が七八分懺悔するべき事。三才迄は母親が骨が折れるものなり。十五歳迄に現れる理は其の人前世だが、親の懺悔親の理が出る。十五才より三十才迄は自己と親と双方の懺悔、三十歳以上は自己一人の懺悔にて助かる。
例えば子供が前世持越し因縁の重病を患ってあれば、親に其の性質又は其の因縁を作りし雛形が有る。依って親の懺悔にて助かるなり。
皆神様と身の内を一ッに悟って居れば、段々細密なる事が明らかに分って来るのが天の理にて、身の内借り物の理が分れば諭し位容易なものはない。