天理教々理より見たる人生の意義及価値

 

                          大平 良平

       序論 人生とは何ぞや?

 

 此処に空間に遊離せる無数の水蒸気がある。其れは春夏秋冬の四季の気候の変化に依り

或は雨となり、或は露となり、或は霜となり、或は氷となり、或は雪となり、或は霰となつて地上に降る。其の降るや気候の冷化により、其の昇るや気候の温化による。其の形の異るは温度の差異に依るのである。

 

 凡て此等の雨露霜氷雪霰(もしくば霞雲靄霧)は其の時と所とに依つて其の体と用とは一様ではない。例へば屋上に落つる雨は瓦を洗ひ落つては軒端の石を穿つ雨垂となる。又庭園に落つる雨は庭樹を生かす甘露となる。高山の頂に落つる雨は集まつては大飛瀑を形造り、深森に落つる雨は木々の渇を医し余つては渓間の流となる。或は田に或は畑に或は野に落ちて五穀野菜の霑となり野辺の草花の生命の霊泉となる。散じては水蒸気となり集つては井池湖沼江流海洋となる。澄んでは人畜魚介を養ひ腐つては孑孑を養ふ。静かなる時は三才の小児を浮かばせ、怒れば大浪の巨巌を砕く。更らに氷雪霜露に至つては或は天地の温気と醜悪とを包み、或は有害の害虫を殺し、或は草木を生かす霊泉ともなり或は草木を枯らす毒薬ともなる。

 

 等しく天より降る一滴の水蒸気の運命と活用とはかくの如く異つて居る。人間の運命も亦此等水蒸気と甚しく其の趣きを等しうして居る。即ち等しく「高山の大池に湧いた水」であつても或る者は金殿玉楼の中に絹布に包まれ美食に飽き、或る者は大地を床とし青天井を屋根として日々の衣食に苦しみ、或る者は人を毒する濁水となり或る者は人を助くる清泉となる。且つ此の二つの極端なる性格と運命との間には更らに無数の異れる性格と運命とがある。其は例へば人の面の異るが如く異つてゐる。凡て此等の原因は何処にあるであらうか?

 

 此の他誕生、結婚、死亡の問題の如き家庭問題、社会問題、国家問題の如き生活問題、経済問題、労働問題の如き政治問題、法律問題、外交問題の如き、社交問題、軍事問題、通商問題の如き、倫理問題、道徳問題、宗教問題の如き大小無数の人生問題が吾人の前に横はつて居る。わけて吾人々類にとつて直接の重大問題は生命其の者の問題である。此の最後(最初にして)の問題は人世問題の核心である。従つて其を解決することに依つて他の凡ての人生問題は自然に解決せられるのである。

 

古来「人生とは何んぞや」との問題は東西古今の先覚者の頭脳を最も苦しめた問題であつた。けれども之れに向つて一人として完全無欠の定義を与へたものはなかつた。(釈迦や基督や孔子の如きは最早や今日の進歩した複雑なる人生問題を解決するには余りに時代後れである)而かも時代の進歩は益々此の疑問を深くすると共に最後の解決を要求してゐるのである。此の際に於て突如として人生問題の最後の解決者として表はれた者が所謂世界最後の一大新教の樹立者たる中山ミキ子である。

 

 ミキ子が天理教を創立するに至つた動機は全く偶然の必然に属して居た。即ち彼女が天保九年十月二十六日(ミキ子四十一才の時)宇宙の根本実在の神の天啓を受くる迄は新教樹立の如き彼女の夢想だもせざる所であつた。けれども之れを大宇宙の大意力者の眼より見れば全く予期の事実であつたのである。之れは其の後彼女の口を通じて表現せられた天啓の声に依つて証明することができる。

 

 即ち天啓に依れば天保九年を遡ること九億九万九千九百九十九年の過去に於て世界が未だ混沌たる泥海時代に属して居た時宇宙の両極力を代表して居る所の国床立尊重足尊の男女両神が月読尊国狭土尊以下伊邪那岐伊邪那美尊の八柱の神(此等の神は其の当時に於ける最高等動物であつて神ではなかつた。後に人間創造世界創造の助力の功に依つて神名を附与せられたのである)の助力を得て人間並に人間の生活根拠地である地球の創造を始めた。当時人間の霊魂の前身として用ゐられた動物は鰌であつた。之れに当時の最高動物の有した凡ゆる特徴を合して造つたものが人間の前身である。けれども当時の人間は唯当時の最高動物の有した凡ての特徴を具へて居たと云ふ迄であつて今日の如き進歩せる人間の形態を具へたものではなかつた。

 

 其の後漸次昆虫魚類鳥獣の時代を経て遂に猿人に迄発達し、猿人より今日の人類に迄発達した(此の点に於て進化論は天理教教理に一致して居る)。之れに要した時間が九億九万九千九百九十九年。其の中九億九万年は水中生活。六千年が知識の教育。三千九百九十九年が学問の教育。其れに依つて十のものなら九つまで教育した。後の一つー人格ーが教育するにせられなかつたから、シユン刻限即ち時機の到来を待つて因縁の場所即ち人類創生の最初の根源地(大和国庄屋敷現今の三島)に元なる

神が出現し因縁の身体即ち中山ミキ子(人類の原母伊邪那美命の後身)を立てゝ典型人とし従来未だ曾つて説かなかつた宇宙人世の秘密を啓示するといふのである。

 

 「其れで今迄も何の様な宗教もあつたけれども皆神が人類発達の程度に鑑みて教へて来たものである。今度の教が教へ始めの教へ終ひ。之れ一つ充分に仕込んだなら後に何も教へることはないぞよ」

と。よつて天理教は一名之れをだめの教へとも止めの教へとも云つて居る。蓋し世界最後の宗教を意味するのである。之れが天理教立教の正面の理由である。

 

 今之れを世界の三大文明教の一なる基督教と比較する時は其の教理は云ふ迄もなく其の人類観に於て大なる相違がある。例へば基督教にては神が世界を六日にして創造し其の最後の日に人間を作つたと説いてあるがよし之れを一歩譲つて一日を一時代と見人類を第六紀の創造と見るも尚ほ始めより現人の姿に作つたと云ふ非科学的非合理的事実を否定することはできない。此の点に於て天理教の所説は全然今日の進化論の前駆をなすものである。

 

 次には原人の数である。基督教では原人の数はアダム、イヴの両人にして今日の人類は凡て其の子孫であると説くけれども天理教では伊邪那岐(岐魚)伊邪那美(巳)の両神を父母として生れた原人の数は九億九万九千九百九十九人と説くのであるが此くの如き巨大の数が何うして同時に宿り而かも五分の身長を以つて生れることができたであらうか? 

 

 思うに原始時代の動物は一体に其の体格が巨大なりしを以つて此の岐巳の二高等動物も亦非常に巨大なる骨格を有したものであらう。けれども此処に一つの疑問は現在の人類の数は殆んど原人に倍するの一事である。ミキ子は之れは他の動物の進化せるものと説いて居る。

 

 要するに天理教と基督教との教理の根本的相違は一は進化説向上説に出発し他は退化説堕落説に出発して居ることである。此の出発点の相違はやがて其の帰着点を異にするのである。唯両教の一致は人類の家族的結合と地上天国(もしくば甘露台)の理想である。此の点に於ては両教共殆んど一致の歩調を取つて居ると云つて良い。唯其の間の理想に本末大小の相違のあるのは一は枝葉の宗教であり他は根幹の宗教であるからである。即ち基督教の家族的結合並に地上天国の理想には神霊中心的思想はあつても地理的中心地はなかつた。これ天理教の地場中心主義に一歩を輸する所以である。

 

 蓋し天理教の地場(人間創造の根源地即ち大和庄屋敷現今の三島)は人間の最初の肉の故郷であると共に最後の霊の故郷である。従つて天理教の地場中心主義には基督の神霊中心主義を含むと共に有形の地場中心主義を含むのである。天理教の大家族主義は即ち此の地場中心主義の別名に外ならないのである。之れを云ひ換へれば天理教の終局の理想は此の地場を中心とせる平和にして且つ健全なる一大家族を実現するにあるのである。これが即ち人生の帰趣であり且つ人類将来の理想生活である。

 

 此の理想の世界を称して神は甘露台と云つた。蓋し無上の幸福を意味するのである。(甘露台に二種ある。其の一つは有形の甘露台にして他の一つは無形の甘露台である。もし無形の甘露台が全人類の精神中に建設せられたならば同時に地場に於て有形の甘露台が建設せられると云ふのである。蓋し今日は此の有形無形の甘露台建設の過程にあるのである)

 

 以上述べたる中で吾人々類に取つて三つの忘るべからざる重要事がある。

 其の第一は地場である。

 これは全人類の最初の故郷として、世界最後の宗教の立教地として最も重要なる場所である。天理教が他の既成宗教と異る所以は他に種々なる原因ありと雖も此の世界無二の霊地に起つたことは確かに其の一つでなければならぬ。

第二は教祖である。

 

 天啓に依れば教祖中山ミキ子は人類の原母伊邪那美尊の後身であるといふのであるが其の円く豊かなる心、玲瓏玉の如き人格は殆んど人類として達し得べき最高の高さ、最広の広さ、最深の深さに達して居た。もし地場が天理教の有形の中心を形造くるものとせば教祖の人格は正さに其の無形の中心を形造るものであつた。天理教立教の序論として神が下した左の天啓の如きは教祖の人格を説明して余りあるものである。

 

 曰く「国床立尊、重足尊は泥海の中より顕れ出でゝ世界を創めかけた根本の神である。此屋敷は人間最初宿し込みの因縁ある故、又た美伎の心体を見るに世の中に我子程可愛い者はない。其れを我子二人までも差し上げ其上我寿命迄も捨てゝ人の子(これより先きミキ子は我子二人の寿命と其れで足らなければ我が寿命迄も捧げるに依つて何うか預り子(隣家足達源右衛門の息照之丞)の寿命を助け給えと黒疱瘡にかかつて一命危篤と伝へられた照之丞の為めに祈願して不思議にも危篤の病人を助けた事実がある)を助ける心といふは人間を宿し込みたる根本の親伊邪那美命の魂である故、其れを天より見澄して十柱の神が天降つたのである。此の十柱の神の総名を天理王命と云ふ。美伎の心は天理に叶へど人間に名を付け置かれぬ故此屋敷の因縁に依つて地名に天理王命の名を授け置く」

と。もつて彼女が尋常の婦人でなかつたことを知ることができる。

 

 ミキ子は光格天皇の寛政十年旧暦四月十八日を以つて大和国山辺郡三昧田に生れた。父は前川半七正信母は衣子と云つて藤堂家の無足人であつた。幼より宗教心に富み且つ慈善の心に厚かつた。十三才の時隣村庄屋敷村の中山善右衛門の養女となり十五才の時其の長男善兵衛と結婚した。爾来一男五女の母として一家の主婦として模範的生活を送つて来たが天保九年十月二十三日長男秀司の足痛より近村長滝村の行者市兵衛の祈祷となつた。其時何時も市兵衛の加持台に立つ勾田村のおソヨといふ婦人が不在の為め臨時ミキ子を加持台に立たせた。然るに突然天の将軍の名の下に宇宙の根本実在の神(根の神元の神)の神憑があり人類救済の為めにミキ子を始め家族家屋敷諸共神に捧ぐべしとの厳かなる神命に接した。主人善兵衛を始め其処に居合せた人々は余りに突然の事件であつたから種々辞を設けて辞退したが何うしても聴許がなかつた。かくの如くして神と人との間に押問答が続くこと二昼夜其の間ミキ子は一粒の飯も一滴の水も口にしない。其処で止むなく神命を御受けするとミキ子は「満足満足」との一語を残して元の精神状態に復した。其の後「世界助けの為め谷底に落ち切れ。其処から本道が見えて来る」

 

と云ふ神命に接し遂に自己の所有物は勿論のこと中山家の全財産を挙げて貧者に施し内外の反対攻撃の中に後半生の五十年の生涯を福音宣伝の為めに捧げた。此の間官憲の誤解に依り警察もしくば監獄に引かるゝこと前後十八回。

 

かくの如くして彼女は全人類を罪悪より疾病不幸より救ふべき新しき天国の道を開拓した。而して同時に福音伝道の新しき形式を創造した。これは新時代の救世主として最も注目に価することである。

 古来釈迦を始め基督、マホメツドの如き孔子ソクラテスの如きに至る迄家庭を離れ家族と断つて福音伝道に従事した。交通不便の当時にあつては或はかくの如き伝道法が必要であつたかも知れぬ。けれども家庭の幸福を断ち家族の団欒を離れなければ福音は宣伝し得ざるものであらうか? 且つ宗教家は先天的に家庭の幸福より鎖されたるものであらうか? ミキ子の生活は此の問題に対して最も痛快なる解決を与へて居る。

 

 即ち彼女の与へた解答の第一は宗教家も人であるといふことである。彼女の与へた解答の第二は宗教とは即ち人として生くる道であるといふことである。これ従来の宗教家の多くが人と宗教家及び人生と宗教とを二元的に考へて来た者に対する痛棒である。即ち彼女の無言の言葉に依つて観察すれば宗教家は宗教家たる前に人間たらざるべからずと云ふことを語つて居る。且つ宗教其の者は人間の生活律(人道もしくば人生律)であるといふこと宗教生活とは人生の精粋生活徹底生活であることを語つて居る。之れを従来の所謂宗教家と比較すれば彼等は何れも宗教の為めの宗教家であつた。

 

 けれどもミキ子は人生の為めの宗教家である。彼女が足門を出でず一面に於て家庭の人として一面に於て社会の人として最高の人道生活に生きたといふ点は殆んど他に類を見ない。此処に新時代の宗教家たる面目があるのである。

 

 之れを要するに仏教を始め在来の多くの宗教の理想とする所はミキ子の所謂山の仙人不生産的人物、非社会的人物を養成するにあつた。けれども天理教の理想は所謂里の仙人、生産的人物、社会的人物を養成するにある。従つて仏教にあつては在家生活を称して俗生活と云ひ出家生活をもつて真生活となし公然家庭生活、社会生活を否定して来た。少くとも其れを以つて第二義的生活として来た。

 

 けれども天理教にあつては之れと全く反対の地位に立つて居る。即ち真の人間生活とは家庭生活もしくば社会生活にあつて家庭もしくば社会を離れた孤独生活、厭世生活は人間生活として無価値なること(もとより其の人が人類社会の大なる犠牲者たる時にのみ例外がある)を証明した。ミキ子の言葉に「人間にして働かない者は我が教の子ではない」と云つて居る。盗人と乞食とは即ち彼女の大なる教敵である。これ無為無欲をもつて最高の生活と信じて居た旧宗教との大なる相違である。

 

 此の二教の立脚地の大なる相違はやがて仏教をして消極的、否定的、厭世的、悲観的、退嬰的、静的、固定的、観照的、智識的、貴族的ならしめ、天理教をして積極的、肯定的、進歩的、活動的、流動的、意力的、平民的ならしめた所以であつて且つ人類生活の始と終とを代表する所以である。

 

 然らば何故に同じ地球上に於て殆んど両極端を代表する様の宗教が表はれたであらうか? これは釈迦が生欲の否定の中に人生の絶対価値(無上の幸福)を発見せるとミキ子が生欲の肯定の中に人生の絶対価値(無上の幸福)を発見せるとに依ることは云ふ迄もないが私は之れを人格生長の必然の結果と云ひたい。

 今之れを個人の人格的生長の上に徴するに小我即ち相対的個人我より大我即ち絶対的個人我に達するには凡そ三つの時代を経過するのである。

 第一は小我の時代である。

 第二は無我の時代である。

 第三は大我の時代である。

 が之れを人類の人格発展の上に見れば仏教は即ち人類の人格発展の第二期に表はれた宗教であつて天理教は其の最後に表はれた宗教である。

 之れを天理教々理に見るに「埃を払ふて誠を発揮せよ」と云ふのが天理教の根本精神であるが之れを仏教より云へば破邪顕正といふ言葉に相当するのである。此処に埃を払へと云ふことは之れを云ひ換へれば小我を否定せよと云ふことにして又た誠を発揮せよと云ふことは大我を肯定せよと云ふことである。此の二つの活動は小にしては個人の生長大にしては人類の発達の上に避くべからざる必然の径路にして此の二大宗教は即ち此の必然の径路に於ける極端と極端とを代表するのである。

 

 此の理由を以つて吾人は仏教の人類史上の価値を否定するものではないが之れを現代に布かんとするものに対しては時代後れと云ふものである。何故なれば時代の進歩は昨日もしくば一昨日飽食した飲食物が今日の空腹を充たし得ざるが如く二千年乃至三千年以前に吾人の霊の飢渇を医したものは最早や現代に於て何等の医力を余さゞる為めである。

 

 もし之れを知らずして否な感ぜずして二千年乃至三千年以前の人生問題の解決者たる釈迦や基督や孔子やソクラテスを捉へ来つて今日の複雑なる人生問題の解決を与へよと迫るが如きは其の人の霊魂は眠れるか? 其れとも半睡半起の状態にあるものと云はなければならぬ。此の際現在並に将来の人生問題を解決し人類の長き霊の飢渇を医さんが為めに遣はされたものが天理教々祖中山ミキ子である。此の意味に於て彼女の人類史上の地位は最も重大なるものである。

 第三は瞬刻限である。

 之れも地場と同じく天理教独特の宗教的術語であるが此処に云う瞬刻限は天理教立教の時節を云うのである。

 御筆先に

 今迄も何のよな道もあつたれど月日教へんことはないぞや

 月日より大抵何かだん/\と教へて来たることであれども此の度は未だ其の上の知らんこと何も真実皆な云て聞かすとあるが如く今日迄に世界に存在した宗教は拝火教拝石教拝木教動物崇拝教の如きものより仏教基督教儒教マホメツト教天理教の如き高等宗教に至る迄皆神が人類の精神的発育の程度に応じて教へて来たものである。然るに此の度は人類の精神的年齢を一個人に例へて云へば十五歳となつた。人間十五歳と云へば一人前である。よつて此の度一人前の教を授けて人類を肉体的にも精神的にも独立した完全なる大人を養成するのであると云つてゐるが瞬刻限とは即ち此の大人教育の時機に到達したことを云ふのである。

 

 此の天理教立教の三大要素なる時と所と人とを天理教では「三因縁」と称して居る。之れは単に現在の天理教徒にとつて重要なる点である計りでなく将来の天理教徒即ち全人類の忘るべからざる三大奇縁である。

 

 以上述べたる所は「人生とは何んぞや?」と云ふ人類永遠の大問題と之れに向つて最後の解決を与へた天理教の如何なる宗教であるか? 其の概要を述べたのであるが以下に述べんとする所のものは即ち世界最後の人生問題の最後の解決者たる天理教祖中山ミキ子が此の人類の大疑問に対する答案の研究である。

 

(元より繊才微力の私が彼女の深遠なる思想を全解し得たるや否やは大なる疑問であるが少くとも其一部を彼女の思想として捕捉した得た所を現実生活の試金石と日常生活の篩にかけて精選したものである。もし多少なりとも其の中より人生の真実味を発見することができるならば私の今日迄の努力は全く無徒ではなかつた。もし夫れ彼女の思想の核心に達し彼女と全く同一標準の下に立たんとするが如きは唯神明の加護と不断の努力とに待つのみ。)

 

第一章 人生の定義の変遷

  人もし全世界を得るとも其の生命を失はば何の益あらんや? 又何をもつて之れに代へんや?

                                        

  基 督

 凡そ人間にとつて何が重大問題だと云つて生命其の者の問題程重大問題はあるまい。何故なれば生命は人間にとつて全部であるからである。彼の猶太の青年詩人が其の弟子に向つて、

「人もし全世界を得るとも其の生命を失はゞ何の益あらんや? 又何をもつて之れに代へんや?」

と云つて警告を与へたのは其の実弟子に向つて警告を与へたのではなく全人類に向つて須臾も忘るべからざる一大問題に対する警告であつた。

 

 古来日本の民族的格言に「生命あつての物種」といふ俚諺がある。けれども詩的性情はあつても哲学的性情は少ない否な更らにそれよりも宗教的性情の少い日本人は折角の格言に形而上的意味を附与することができなかつた。為めに折角の格言も今日迄皮相の意味に用ゐられて来たのである。けれども此処に基督が全世界を以つてするも尚交換することを肯んじなかつた生命はかくの如き浅薄なる物質的生命ではなかつた。彼の認めて無上無等々の絶対価値を附与した生命は火も焼くこと能はず、水も濡らすこと能はず、風も消すこと能はざる精神的生命である。

 

 此の精神的生命に絶対の価値を発見したのは基督が最初の人ではなかつた。彼の前に釈迦あり、彼の後にミキ子がある。孔子すら「匹夫の志は奪ふべからず」と云つて生命力の絶対的権威を認めてゐた。否な恐らく東西古今の聖賢と称せらるゝ人にして此の精神的生命の価値を認めない人はない。これは当然の事である。

 

 けれども然らば如何にして精神的生命を生かすべきかの問題は個人によつて一様ではない。例へば釈迦には釈迦特独の生き方があつた。基督には基督特独の生き方があつた。孔子には孔子特独の生き方があつた。ミキ子には亦ミキ子特独の生き方がある。而かも其の中には殆んど正反対の生き方をしたものがある。之れは主として各自の人生観の相異と当時の時代思想の相異とに帰するものにして蓋し止むを得ざる自然の事実である。

 

 けれどもつゞまる所人間には唯二つの生き方さへないといふことに帰着する。其の二つの生き方とは生欲(生命、自己)を肯定することゝ生欲を否定することゝの二つである。

此の二つの生き方の内其の何れを選択するかに依つて積極的ともなり消極的ともなり楽天的ともなり悲観的ともなる。けれども此処に一つの問題は然らば此の人生は或る人にとつては好むべきものであり或る者にとつては厭ふべきものであるとせば人類共通の生き方即ち人道もしくば人生律と云ふものはないであらうか? 之れはある。けれども同じく一国の法律でも大宝令と現行制度と異るが如く人生律(人道)にも亦不断の改正が行はれて行くのである。従つて或る時代に於ては新思想であり、新人生の解決者であつた宗教、哲学も時代の推移は何時迄も其を新思想として立つことを許さないのである。例へば仏教である。其れは当時にあつては当時の凡ゆる旧道徳旧思想を排斥して立つた新思想であつた。

 

 けれども時代の推移は今日之を新宗教乃至新思想として許すものはないのである。従つて厳格の意味より云へば一定不変の人生律(人道)なるものはないと云ふことができる。けれども其れは人道の形式的方面を観察して其の実質的方面を閑却した論である。何故なれば一国の国法は時代によつて其の形式を異にするとは云へ国法の根本的精神即ち国民の幸福、国家の安寧秩序の保護と云ふ立法当初の精神は永遠に失はれないのである。人道即ち人生律も亦之れと同一である。即ち其の人道の形式は時代に依つて種々に変化すると雖も其の精神(最大多数の最大幸福)は変化することはないのである。之れは生命其の者に於ても同一である。

 英の詩人は歌つて曰く

「我は変れど我は死なじ」

と。蓋し変化は宇宙の法則である。従つて其の進化せざるものは必ず退化するのである。

 古来各国各種の時代に産した多くの宗教の中に於て仏教程退化思想を多分に有したものはなかつた。又た天理教程進化思想を多分に有せるものはない。之れは天理教が他の宗教と異つて最も進歩的宗教なる所以である。

 畢竟宇宙は永久無限の霊体、人間こそ向上進歩の活物である。常に進歩し、常に発達する。其れに依つて神の無限理想が実現せられたのである。現実の世界は神殿の仮普請に過ぎない。神は万物を進化し人間を浄化して更らに完全無欠の理想の神殿を建築するのである。ミキ子は之れを称して「きりなし普請」と云つた。彼女の所謂心の入れかへ(人格改造)世のたてかへ(世界改造)は此の神の大理想実現の自然の手段、方法、順序である。

 

 近世の宗教哲学者は宗教の目的は人格創造(もしくば人格教育)にありとして居る。天理教は即ち其の新人格主義の代表者である。

 要するに宗教(人道、人生律)と人生との関係は之れを種々なる方面より説明することができるが最も平易なる解釈に依れば宗教は人生の精粋であるといふことである。之れを例へて云へば人生と宗教との関係は濁水と清水との関係である。現実の人生には多くの汚泥が混入して居る。其の中より汚泥を排出した純粋の清水が宗教である。

 御神楽歌 十下り目の

 三ツみづのなかなるこのどろうはやくいだしてもらいたい

 四ツよくにきりないどろみづやこゝろすみきれごくらくや

は即ち此の間の関係を説明したものである。

 蓋し宗教生活(人道生活人格生活)は人生の精粋生活であり人生の徹底生活であり、人

生の根本生活である。吾人々類は唯其の中に於てのみ真の人生の意義及び価値を発見する

ことができる。従つて宗教其の者は人生の標準であり、宗教生活其の者は人生の標準生活である。これを例へて云へば宗教とは白金の尺度である。吾人々類の尺度は狂ふことがあつても神の作つた白金の尺度は狂ふことがない。唯時代の推移は鯨尺をもつて曲尺とする

の相異あるのみ。

 凡て宗教にあれ哲学にあれ倫理、道徳、政治にあれ其れが人生に対する使命は刻々に湧き出づる人生問題を解決して更らに未来に向つて向上発展の活路を開くにある。就中宗教其の者の使命は人生の根本問題を解決するにある。

 古来人生に対して一定不変の定義を下さんと企つた精神界の賢者は雲の如くにあつた。

就中其の中に於て最も大なる人生の定義者は釈迦と基督とミキ子とである。

 此の三聖の中人類史上に向つて一大光明を投じた最初の偉人は釈迦であつた。彼の人生に対する使命は宇宙の根元、万有の起源、人類の発生に対する根本的の説明を与へる為めではなかつた。彼の人生に対する使命は如何にして人類を現在の苦痛より救ふべきかにあつた。

 彼は即ち人生の一切の苦痛の原因は生欲に対する過度の執着心にありとし人生の真の快楽は唯其の執着心を去ることにありとした。彼は此の苦を断除する自然の順序として人生の無常と因果の理法とを説いた。

 彼にとつて最大の敵は何処如何なる時に於ても自己の精神的平和を撹乱することであつた。彼が人生に対する一切の執着心を去つて独身生活隠遁生活を勧めたのは此の精神的平和の撹乱せられることを恐れたからである。彼は此の一切の外的欲望に蔽はれざる真我の生活を称して涅槃と云ひ、其の状態を形容して真如と云つた。蓋し真は彼の求めた唯一の人生の目的であつた。其の証拠に彼並に彼の思想に依つて救はれたる者は何れも真を攫んだ時云ひ換へれば本当の我に帰つた時である。之れは基督に依つて救はれたる人々が何れも最高の精神美を発揮した時に救はれ、ミキ子に依つて救はれたる人々が何れも人生の最

高善を発揮した時に於て救はれたると同一の現象である。

 かくの如くにして釈迦に依つては人生の完全なる客観的定義は与へられなかつたとは云へ彼が人生の幸福は物質欲の満足の中にあらずして精神欲の満足にありとした大なる功績は没することができない。けれども彼が余りに現実的快楽を否定し社会的欲望を否定した結果として却つて大なる反動を精神界に惹き起した。基督教は即ち此の弊害を救ふべく表

はれたのである。

 

 之れは元より基督自身の自覚に依つて行はれたことではない。けれども神と人とにとつては全く偶然の事実ではない。時代の趨勢は自然と其処に到達して居たのである。

 基督教の与えた人生の定義は基督の与へた次の言葉に依つて解決せらるゝものと思はれる。

「人もし全世界を得るとも其の生命を失はゞ何の益あらんや? 又た何をもつて之れに代

へんや?」

 之れに向つて更らに積極的に具体的解答を与へたのが次の教法師と基督との問答である。

「爰に一個の教法師あり起て彼を試み曰けるは

 師よ我なにを為さば永生を受くべきか?

イエス曰けるは律法に録されしは何ぞ爾いかに読むか?

 答へて曰けるは

 爾心を尽し、精神を尽し、力を尽し、意を尽して主なる爾の神を愛すべし亦己の如く隣を愛すべし

イエス曰けるは

 爾の答へ然り之を行はゞ生くべし」

 即ち愛は彼及び彼の宗教の生命であつた。否な全人類の生命である。

 即ち彼にとつて最大の罪悪は生欲に対する執着心(愛)の強大なることではなかつた。

寧ろ其の欠乏にあつた。彼が神人の愛を高唱したのは其れは自己を殺す為めではなくて自己を永遠無限に生かすことにあつた。

 彼にとつては個人的欲望は少しも厭ふべきものではなかつた。唯其れが小なる相対的個人的欲望に終ることを悲しんだのである。

 彼は一生独身であつた。けれども彼は独身主義でもなければ厭世主義者でもなかつた。

彼は明かに家庭生活を肯定し、社会生活を肯定した。今日の基督教国民が何れも家庭の熱愛者であり社会の熱愛者たる所以は彼の感化の与つて大なるものがある。此の点に於て彼の思想は仏教よりも寧ろ天理教に・・・・・