よろつよのせかい一れつみはらせど
むねのハかりたものハないから 1-1
という理は、くにとこたちの命様が先においでに
なりて、この世の人間を拵え下されて、おみすま
しになされて、拵えたる人間には六台の根を知っ
ている者がない。むねのわかりたものはないと
仰せられしなり。
六代の根というのは、人間元はじまりの六台で、
くにとことたち、おもたり、くささづち、
つきよみ、いざなぎ、いざなみの六台で、
この六台により人間をお造りになられた。
そのはづやといてきかした事ハない
なにもしらんがむりでないそや 1-2
という理は、おもたりの命様がお出ましになりて、
くにとこたちの命様が六台の根を知りている者が
ないと申されたのをおもたりの命様が、それは
知らぬこと、説いてきかした事はない、知らぬが
無理ではないと仰せられしなり。
このたびハ神がをもていあらハれて
なにかいさいをといてきかする 1-3
という理は、これからは神が現われて、どんな事
でも、こんな事でも説ききかすと、くにさづちの
命様が申されし事をいうなり。
このところやまとのしバのかみがたと
ゆうていれども元ハしろまい 1-4
という理は、大和地方を他国からは神方というている
がなんでいうのやら、いうているやら元はしろまいと、
つきよみの命様が申されし事なり。
このもとをくハしくきいた事ならバ
いかなものでもみなこいしなる 1-5
という理は、この世始めて拵えた本元を聞いた事
ならどんなものでも恋しなるでと、くもよみの命
様が申されしことを言うなり。
きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
よろづいさいのもとのいんねん 1-6
という理は、神の道について、この成りた元を聞き
たいと思うものは、訪ねて来た事ならよろづいさい
の元の因縁の事を聞かしてやろうと、かしこねの命
様のお言葉であるなり。
かみがでてなにかいさいをとくならバ
せかい一れつ心いさむる 1-7
という理は、訪ねて来て聞かすのは神が出できかした
なら、世界中は勇む心になると、たいしょくてんの命
様が仰せになられた。
いちれつにはやくたすけをいそぐから
せかいの心いさめかゝりて 1-8
という理は、助けの道を教えたいから世界中の心、早く
勇んで来いと、おふとのべの命様が申された事なり。
だん /\ と心いさんでくるならバ
せかいよのなかところはんじよ 1-9
このさきハかくらづとめのてをつけて
みんなそろふてつとめまつなり 1-10
みなそろうてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる 1-11
いちれつに神の心がいづむなら
ものゝりうけかみないつなり 1-12
りうけいのいつむ心ハきのとくや
いづまんよふとにはやくいさめよ 1-13
りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやてをどりをせよ 1-14
このとびハはやくてをどりはじめかけ
これがあいずのふしきなるそや 1-15
このあいずふしぎとゆうてみへてない
そのひきたれバたしかハかるぞ 1-16
そのひきてなにかハかりがついたなら
いかなものてもみながかんしん 1-17
みへてからといてかゝるハせかいなみ
みへんさきからといてをくそや 1-18
このさきハ上たる心たん/\と
心しづめてハぶくなるよふ 1-19
「上」とは「おやしき」内の統治者。
具体的には慶応3年より吉田 神祇管領の認可を受けて、
宗教行為の責任者になった秀司。 秀司と教祖が対立していたことが分かる。
このハほくむつかしよふにあるけれと
だん/\神がしゆこするなり 1-20
このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ 1-21
せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ 1-22
なにもかもちがハん事はよけれども
ちがいあるなら歌でしらする 1-23
しらしたらあらハれでるハきのどくや
いかなやまいも心からとて 1-24
やまいとてせかいなみでハないほどに
神のりいふくいまぞあらハす 1-25
いまゝでも神のゆう事きかんから
ぜひなくをもてあらハしたなり 1-26
こらほどの神のざんねんでてるから
いしやもくすりもこれハかなハん 1-27
これハかりひとなみやとハをもうなよ
なんてものこれハ歌でせめきる 1-28
このたびはやしきのそふじすきやかに
したたてみせるこれをみてくれ 1-29
慶應3年から祀りこまれている神道式祭式を撤去することを
「や しきのそうじ」また「あくじ」とされた。
そふじさいすきやかしたる事ならバ
しりてはなしてはなしするなり 1-30
これまでのざんねんなるハなにの事
あしのちんばが一のざんねん 1-31
このあしハやまいとゆうているけれど
やまいでハない神のりいふく 1-32
りいふくも一寸の事でハないほどに
つもりかさなりゆへの事なり 1-33
りいふくもなにゆへなるどゆうならハ
あくじがのかんゆへの事なり 1-34
このあくじすきやかのけん事にてハ
ふしんのじやまになるとこそしれ 1-35
このあくじなんぼしぶといものやとて
神がせめきりのけてみせるで 1-36
このあくじすきやかのけた事ならバ
あしのちんばもすきやかとなる 1-37
あしさいかすきやかなをりしたならバ
あとハふしんのもようふハかりを 1-38
一寸はなし正月三十日とひをきりて
をくるも神の心からとて 1-39
そバなものなに事するとをもへども
さきなる事をしらんゆへなり 1-40
そのひきてみへたるならバそばなもの
神のゆう事なにもちがハん 1-41
いまゝでは神のゆう事うたこうて
なにもうそやとゆうていたなり 1-42
このよふをはじめた神のゆう事に
せんに一つもちがう事なし 1-43
だん/\ とみへてきたならとくしんせ
いかな心もみなあらハれる 1-44
よろづよのせかいぢふうをみハたせバ
みちのしだいのいろ/\にある 1-45
このさきハみちにたとへてなしなする
どこの事ともさらにゆハんで 1-46
やまさかやいばらぐろふもがけみちも
つるぎのなかもとふりぬけたら 1-47
まだみへるひのなかもありふちなかも
それをこしたらほそいみちあり 1-48
ほそみちをだん/\こせばをふみちや
これがたしかなほんみちである 1-49
このはなしほかの事でわないほとに
神一ぢよでこれがわが事 1-50
いまゝでハうちなる事をばかりなり
もふこれからハもんくかハるぞ 1-51
よろづよにせかいのところみハたせど
あしきのものハさらにないぞや 1-52
一れつにあしきとゆうてないかれど
一寸のほこりがついたゆへなり 1-53
このさきハ心しづめてしやんせよ
あとでこふくハいなきよふにせよ 1-54
いまゝではながいどふちふみちすがら
よほどたいくつしたであろをな 1-55
このたびハもふたしかなるまいりしよ
みへてきたぞへとくしんをせよ 1-56
これからハながいどふちふみちすがら
といてきかするとくとしやんを 1-57
このさきハうちをおさめるもよふだて
神のほにハ心せきこむ 1-58
だん/\と神のゆう事きいてくれ
あしきのことハさらにゆハんで 1-59
このこ共二ねん三ねんしこふと
ゆうていれども神のてはなれ 1-60
しやんせよをやがいかほどをもふても
神のてばなれこれハかなハん 1-61
このよふハあくしまじりであるからに
いんねんつける事ハいかんで 1-62
わがみにハもふ五十うやとをもへとも
神のめへにハまださきがある 1-63
ことしより六十ねんハしいかりと
神のほふにハしかとうけやう 1-64
これからハ心しいかりいれかれよ
あくじはろうてハかきによほふ 1-65
『山中忠七伝』には、教祖が忠七の娘を秀司の嫁にと懇望され たが、
年が違い過ぎると断ったことが書かれている。
忠七の子 供の数は、夭折した者を除くと、「おふでさき」の条件に合う。
これとてもむつかしよふにあるけれど
神がでたならもろてくるそや 1-66
にち/\に心つくたそのゑハ
あとのしはいをよろづまかせる 1-67
五人あるなかのにゝんハうちにをけ
あと三人ハ神のひきうけ 1-68
よろづよのせかいの事をみはらして
心しづめてしやんしてみよ 1-69
いまゝでも神のせかいであるけれど
なかだちするハ今がはじめや 1-70
これからハせかいの人ハをかしがる
なんぼハろてもこれが大一 1-71
せかいにハなに事するとゆうであろ
人のハらいを神がたのしむ 1-72
めい〃のをもふ心ハいかんでな
神の心ハみなちがうでな 1-73
せんしようのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる 1-74